イミタチオ・クリスティ

村の小さな教会

12月29日(火):口には賛美、手には剣

f:id:dotadotayocchan:20201017111824j:plain

『彼らの口には、神への賛美、彼らの手には、もろ刃の剣があるように』

              詩編:149:6

イエス・キリストは『わたしが来たのは地に平和をもたらすためだと思ってはなりません。わたしは、平和をもたらすために来たのではなく、剣をもたらすために来たのです』(マタイの福音書10章34節)。と驚くべきことを言われました。イエス・キリストの来臨の本当の目的は平和です。イエス・キリストは平和の君です。神と人とを和らげ、人と人を和らげることこそ、イエス・キリストの十字架の目的でした。

f:id:dotadotayocchan:20200929030952j:plainしかし、本当の平和をもたらすために、偽りの平和をまず壊される必要があります。核弾頭の数のバランスの上に立つような偽りの平和、罪というガンを切り取りもせず、傷を縫い合わせて、絆創膏を張って、「平和だ、平和だ」と言うような偽りの平和、泥水を沈殿させただけで「きれいだ、きれいだ」と言うような、なぁ、なぁ主義の偽りの平和。・・・・・・

f:id:dotadotayocchan:20201201140410j:plain

人間を罪と裁きのきずなから切り離し、罪の奴隷状態から解放して、一人一人の魂を平和にしない限り、本当の平和は来ないでしょう。神の言葉は

両刃の剣。刺し貫き、開き、刻み断ち切り、私たちの魂を罪から解放して本当の平和に導くのです。口には神への賛美があふれ、手に愛の言葉、神の言葉という両刃の剣を持つ・・・・

パラドックスのように聞こえますが、真の神の人の姿ではないでしょうか。(羽鳥明師:詩篇の講解)・・・・・・・

f:id:dotadotayocchan:20201109104245j:plain

この箇所ほど、イエスの透き通った真実を鮮明に映し出しているところは他にはない。ここで、イエスはクリスチャンに対する要求を、強力に割引なしに打ちだされる。主の使者としての使命に献身した者は何を覚悟すべきかをはっきり示されているのである。・・・・・・

エスは選択を求められる。

我々は、地上の最も親しい者を第一とするか、イエス・キリストへの忠誠を第一とするか、という選択を求められる場合がある。バンヤンはこれをつぶさに経験した。入獄中のバンヤンを一番苦しめたのは、入獄が、妻や

子供たちに与える影響であった。扶養する者のいない家族はどうなるであろうか。「妻と気の毒な子供たちと別れていると、肉が骨から引き裂かれるような思いがする。これは、私が親愛な家族に深い愛着を持っているだけではない。私がいなくなったときに、家族はどんなに苦しみ、みじめで、乏しくなるかをあらかじめ考慮すべきでなかったか、と考えるからである。特に、あの気の毒な盲目の子供のことは、私の心から離れない。あの盲目の子供が、これからどんな苦労をするか、と思うと、いたたまれない気がする。お前たちを残して行くのは、まさに断腸の思いである。しかし、もう一度思い返して、お前たちを神に委ねることにしよう。今の私には、妻と子を家の下敷きする男のように思えるが、それでも私は、それをどうしても実行しなければならない。どうしてもしなければならないのだ」・・・・・

このような厳しい選択を迫られる人は、ほとんどいないとしても、神の憐れみによって、このようなことが私たちに起こらないように祈りたい。しかし神への忠節の前には、他のすべての者に対する忠節を二義的なものと考えなければならない、という事実は、昔も今も変わらない・・・・

     ☆        ☆         ☆

前段は羽鳥明師の講解、次はウイリアム・バークレイの解説。

さて、私は、「狭き門より入れ」と言われたイエスの言葉と結び付けて考えた。アンドレイ・ジイドの狭き門という小説を若き頃に読んだ。あのアリサの言葉が忘れられない。「狭き門なのです。二人並んで通ることの出来ない、細い道なのです」。昔はひどく反発を覚えたものだったが、最近になって、何となくアリサの信仰が、理解できるような歳になってきた。

f:id:dotadotayocchan:20201224103938j:plain

去年知り合いの信徒さんが、ご夫婦で訪ねて来た。彼らは毎朝、起きると

お手々を握り合ってお祈りをしているのだそうである。思わず吹き出しそうになったが、ここで笑ったら、牧師失格。私たちもお手々こそ握らないが、朝、二人で祈っている。最初は私だけだったのだが、猫のアルがちえ子の顔を引っ掻くので渋々起きて來るようになった。しかし、二人で祈り合うことには異論はないが、やはり、信仰の道は細い。あのアリサのように、神と己が向き合うときは、余人は邪魔なことがある。自分の思いを曝け出すのは人前では憚られる。まだまだ精進が足りないのかねぇ~・・・

     ☆        ☆         ☆

年末だ、チカちゃんや正男さんを尋ねてみようと思う。今年最後の訪問に

なるかな。塗り絵やってるかな、見せてもらえるといいが・・・

おねーちゃんの方はどうしているかな、悪性リンパ腫に大腸癌、よくよく「運のわるい娘」だ。それでも会うとハレルヤと言っているので、こちらは雨模様・・・・

f:id:dotadotayocchan:20201217131004j:plain

ちえ子は年末の教会会計の報告書の作成に忙しい。それにしても、会計が守られていることは感謝だ。私は一度も献金の勧めも説教もしたことがない。にもかかわっらず、この満ち満ちたさまはどうしたことか。来年度はいっぱい伝道費を計上しよう。

f:id:dotadotayocchan:20200905180604j:plain

まぁ、お金持ちなのね・・教会がね、私の財布の中身は、一万三千円・・ガッカリ・・