イミタチオ・クリスティ

村の小さな教会

5月20日(木):イエスの冷淡な沈黙

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『イエスは答えて言われた、「子供たちのパンを取って子犬に投げてやるのは、よろしくない」』。(マタイ15章;26節)

昨日私たちはイエスの冷淡な沈黙について考えました。今日はイエスの冷淡な言葉についてしばらく考えて見ることにしましょう。イエスは最初から母親の願いを叶えるつもりだったのですが、まず母親に、彼女の身分を自覚させねばならなかったのです。ですから余儀なくひどい言葉をお使いになりました。しかし、母親はそれを侮辱として受けず、イエスの言葉を全面的に素直に受け、その足元にぬかづきました。・・・・・・・

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あなたもこのようなことを経験したことがあるでしょう。なぜイエスが答えて下さらないのか苦しんでいるときに、過酷な言葉をかけられたことがあるでしょう。かの婦人は、イエスのひどい言葉を素直受け、少しも逆らわず、イエス服従しました。これはあなたにもできることでしょうか。

もしあなたがこの事ができれば、救い主イエスは次のような心のこもった言葉を、あなたに語られるでしょう。「あなたは、この世の生活が不幸に陥った時には、泣き悲しんで神に助けを求めるけれども、魂が悲惨な陥った時には、平気な顔をしています。あなたは困った時にだけ神を思い出すけれども、それはあなたがひざまずいて祈るにせよ、あなたのわがままがさせている事です。その上あなたは神の前にあっても、わがままだから、神に何々してほしいと指図します。もし、自分の意志通りにならない時は神に向かって不平を訴えます。・・・・・・

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あなたが苦しんでいる時に、このようなことを聞かせるのは残酷なことです。しかし、愛する者が死ぬような危険に臨みながらも、それに気づかない時には、愛するが故に、ひどい非常手段を用いねばなりません、と。

エス服従した母親は、イエスのみ言葉とイエスの態度によって、イエスに対する確信がいよいよ深められ、イエスのおん憐れみに自分のいっさいを委ねました。彼女はこの世の苦悶から救いだされたのみならず、思い上がった命令的な気持ちを捨てることを教えられ、罪人としての謙遜と服従によって神の恵みの救いにあずかることができました。・・・・

あなたが、すべての苦悩苦痛を、くぎ打たれたイエスのみ手に安心して委ねる者となるように、イエスは、あなたを神に対する不信から助け出してくださるでしょう。この神に対する信頼の欠乏こそは、あなたを不幸に陥れているものであります。(O・ハレスビー:みことばの糧)

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