イミタチオ・クリスティ

村の小さな教会

9月1日(水):天 地のお父様

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何故か本文が全部消失しています。☆マークをつけて頂いた方。その他のかた。お読みいただけましたでしょうか。原因を後で調べて見ます。または、再投稿します。

【書き直し部分:追加】

数人の植物学者たちが、アルプスで標本にする花を探していた。すると絶壁のはるか下の方の谷底に、非常に珍しい花が見つかった。花は、崖の途中の小さな岩の上に咲いていた。命綱でしか行けない場所であった。・・

ふと振り返ると、少し離れた所に羊飼いの少年がいた。彼らは少年を呼び、ピカピカの新しい金貨を何枚か取り出して、命綱をつけて下へ降りて行って、あのは花を取って来てくれたら、この金貨をあげようと相談を持ち掛けた。少年は深い谷を見下ろし、学者たちの見なれない顔と、金貨を見つめて迷った。金貨は欲しいが、絶壁は怖ろしい、しかも命綱を握るのは、この見なれない人たちなのだ。・・・・

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少年は突然走り出して、山の家に駆け込んだ。そしてしばらくすると、大きくてがっしりした体格の、見るからに優しそうな人と一緒に現れた。父親だった。少年は崖の淵にいる植物学者にこう言った。

「谷底へ行ってもいいよ。僕のお父さんが命綱を持てくれるから」。

そうだ、必要だったら悲しみの谷にでも、痛みの渓谷にでも降りて行こう。私たちの父なる神が命綱を握っていてくれるなら、いつ、どこにいても安全なのである。・・・・・・・

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『主のみこころなら、私たちは生きていて、このことを、または、あのことをしよう』(ヤコブ:4:15)主のみこころに生きることこそ、祝福に満ちた神の御手に握られた命綱である。そこに成熟したキリスト者の明日への計画があるのである。

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