イミタチオ・クリスティ

村の小さな教会

8月31日(火):ナルドの香油

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過ぎ越しの祭りが近づき、イエスと弟子たちはベタニヤ村にあるシモンの家に落ち着いた。シモンがどのような人物であったかよくわからないが、そのシモンの家で一つの美しい出来事が起こった。イエスが弟子たちと食卓に着いておられると、一人の女が、純粋で非常に高価なナルドの香油を惜しげもなくイエスに注ぎかけたのである。マルコはその女がどこの誰で、何のためにそんなことをしたのか一切説明をしていない。ただ事実だけを簡潔に述べている。ヨハネ福音書によれば、女はベタニヤ村のマリヤであった(ヨハネ:12;23)。ヨハネの言うようにその女がマリヤであったとすると、彼女は香油注ぎが何を意味するのか知っていてそれを行ったということができるであろう。彼女は日頃からイエスの教えに静かに耳を傾けており(ルカ:10;39,42)、何が最も大切かをよくわきまえていた。・・・・・・・

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そのナルドの香油は300デナリ以上の値打ちがあったと言われている。おそらく彼女にとって宝物中の宝であったことだろう。それをイエスに対する純粋な信仰と愛とのゆえに惜しげもなく注ぎだしたのである。信仰と愛とは犠牲を払うことを少しも惜しいとは思わない。むしろ、それを喜びとするのである。逆にイエスに対する犠牲を金に換算するようでは、その信仰は本物でないかも知れない。・・・・・・・

女の行為に対して憤慨の声があがった。「何のために、香油をこんなに無駄にしたのか。この香油なら、300デナリ以上で売れて、貧乏な人に施しができたのに」。福音書記者はそれを言ったのはイスカリオテのユダであり、貧しい人に心をかけていたからではなく、預かっている金を盗んでいたからであったと説明している(ヨハネ:12;4-6)・・・・

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いずれにしても、弟子たちは香油の物質的価値に心を奪われていた。イエスに対する女の真実な愛を理解できなかった。「貧乏人に施しができるのに」とはもっともな言葉であるが、その反面人間の真実の愛も知らず、経済的援助だけに心をすり減らす誤りに少しも気づいていない、・・・・

現在、福祉制度が充実して、社会の中でもきめ細かい配慮がなされるようになった。しかし問題が何もなくなったわけではない。私も民生委員をしているが、経済的援助だけでなく愛の思いやりが欲しい、という声をよく聞く。人はパンだけでは生きることの出来ないいきものである。自分の為に犠牲を惜しまない愛の心が必要なのだ。それは途上国に対する援助にも共通している。愛のない、見返りを計算した経済的援助は反発を招くだけで、決して感謝されないのである。・・・・・

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エスは人々に言われた「そのままにしておきなさい」。イエスはここで、大きく分けて三つのことを言っておられる。

まずはその女の犠牲的な愛を正しく評価された。女は、イエスに対する感謝と愛のために犠牲を惜しまなかった。また、イエスの十字架の死を予感して、弔いの用意をするためにナルド油を使い果たすことを惜しまなかった。その愛の心をイエスは認めて喜ばれたのだった。死にゆく者に愛の犠牲を惜しむと、永久に悔いを残さなければならなくなる。特にイエスのために犠牲を惜しむ者は、真実の祝福まで失ってしまうであろう。

二つ目は、貧しい者に対する配慮である。イエスは決して貧しい人々に対する配慮を軽視されたことはない。それは彼らがその気になればいつでもできる。ただ、ここでいつでもできることと、今でなければできないことをはっきりと区別されたのである。

三つ目は、イエスは彼女の行為を永遠の記念とされた。その女の行為はそのときは非常識で無駄なことに見えたが、やがて彼女の美しい心が理解されるにつれ、世界中に伝えられるようになった。この女ほどイエスを深く理解し、純粋に愛した者はいない。真実な愛は、その時は人々に理解されなくても、やがて理解される時が来る。

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今日、午前中にようやく金田さんところの網戸の修理に行って来た。この前は熱中症気味になった、涼しくなってから、網戸の修理もおかしな話だが、土台、風除室が菱形でそこに長方形の網戸をはめ込むのは至難の業、パスカルもこの難問は解決できまい。・・・・・・

帰りに洒落た喫茶店でランチ。地元の人は知っている踏切そばの店。

羊が三頭いた。ランチのはどうやら羊の肉らしい。はぁ~。羊を見ながら羊を食べるのは、いささか、抵抗がある。羊の写真は後で載せておきます。おやすみ。

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