イミタチオ・クリスティ

村の小さな教会

12月5日(日):大ボケ

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2週間ほどPCの故障でブログをお休みしていたら、すっかり怠け癖がついてしまった。12月3日に再開したのだが、曜日を間違えていた。12月3日(水)と日付を打っているが、12月3日は、金曜日である。12月4日の朝の祈りの時間に、ちえ子が「明日は礼拝と聖餐式があります」と祈っているのを聞いてびっくり仰天。2日、曜日を勘違いして大騒ぎしてしまった。原因は、何とカレンダーのめくり間違い、月初めに11月のカレンダーをはがしたつもりが、12月のカレンダーをはがしていた。それで、12月3日は水曜日とばかり思っていたのである。そのまま、錯覚していたら、信徒さんが礼拝に来られた時「おや!、何か御用でもお有りですか?」と聞くところだった。・・・・・

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昨日は昨日で、12月4日(土)これは正確な日付。ある人のブログを見ていたら、愛犬の一周忌だと書いてあった。うちに愛犬マルが亡くなって、丁度半年。同じ思いをしているらしい。そんなことで、マルの思い出を書こうかなと思いつつも、おやすみしてしまった。・・・にもかかわらず、お訪ね下さるお客さんがおられ、毎度、同じものをお読みいただき恐縮至極である。そんな次第で、申し訳ありませんでした。・・・・・

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私のブログの読者は、その大部分は、教会関係の人たちだろうを思う、それでどうしても聖書の話になってしまうし、そのためにも書いている。そこで今日は、この前読みかけていた、ルターの大教理問答書に棒線を引いたところがあったので、その文を紹介しようと思う・・・・・・・

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『我々は自分の不幸はなかなかよく感じる。そして世間の不実、暴力、不正については不平を鳴らし、苦情を並べる。そのくせ、自分が当然刑罰に価する悪人である事には目を閉じ、少しも自らを改めようとはしない。いかなる恩恵も、幸福も受けようとしないのである。だから、一切の憐れみから除外されて、不幸ばかりに見舞われるのは当然である。それにもかかわらず、神がなお我々にこれほどまで多くのよいものをお与えになるのは、まだ地上のどこかに幾人かの義なる人がいるからに違いない。自分の価値によるものであったら、我々は、家に一文の金をも、畑に一本の藁さえ所有する資格はないであろう。以上多くの言葉を用いて教えねばならなかったが、すべては、いつか誰かがこれを心にとめて、我々が深く陥っている盲目と苦悩とから解放され、神の言葉とみこころを正しく知り、熱心に受け入れてくれることを願ってのことである。こうしてこそ我々は、一時的にもこそ我々は、一時的にも、永遠的にも、十分に喜びと幸福と救いとを得ることを学ぶことができるであろう』 (ルター大教理問答書より抜粋)

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