イミタチオ・クリスティ

村の小さな教会

10月31日(火):アンンソニ・デ・メロ

イエズス会司祭 「心の泉」

何ものをも拒否するな。何ものにもしがみつくな。

新約聖書の中に、使徒パウルがコリントに人々に宛てた第一の手紙の中に、「愛の章」13章とよばれ広く信徒に親しまれている御言葉がある。【愛は寛容であり、愛は情け深い、また妬むことをしない】この章句を諳んじている人も少なくない、聖書の中でも深く人々を慰めて来たことばである。・・・・上の司祭様の言葉は、つきつめてみると、「愛の章」にたどりつくような気がする。愛はすべてしのび、すべてを信じ、すべてをのぞみ、すべてを耐える」。愛はいつまでも絶えることがない。・・・・・

喧騒な時代、あらゆるものが錯綜した目まぐるしい社会になって来た。これだけの運動量がなければ、世の中はない立たないものなのかと思ってしまう。【清貧】と言う言葉がもうずっと昔にあった「死語」のように思えて来る。キリストにならいて生きて行くのが、キリスト者にもむつかしく思えて来る。この世の何処かに、言い知れぬ、はかり知れぬ深い断層があるように思われる。そのような虞をを感じる。