パウロは、「わたしは、イエスの焼き印を身に帯びている」と述べた。
このステイグマタは、常に人々を魅惑してきた。アッシジのフランシスコについて言われることであるが、彼は、ある時寂しい山頂にじっと座っていた。フランチェスコにはその時、地平線上全体に広がる十字架に架けられた愛の神を見たように思えた。それを見ていると、彼の心は悲しみと憐れみの剣で刺し通されてしまった。その幻影は次第に消えて行き、フランチェスコは我に返った。人々の伝えるところによれば、その時フランシスコが見下ろすと、彼の両手に釘の跡がしるされており、生涯その印は消えることはなかったという。この話が真実であるか、伝説あるかは断言することはできない。この世界には、私たちの平凡な哲学が夢想する以上の事柄が存在するからである。パウロは、主と共に十字架につけられた経験を、あまりにも如実に体験したために、パウロもまた、その手に釘跡を帯びることになった、と考える人々もいる。
パウロの聖痕についてはいささか飛躍があるが。フランチェスコの聖痕については、あまりにも有名であるので、否定しがたい面もある。
あら、まぁ~。二か月ぶりの更新ね。スミマセン、怠けています。