最近は書物を買うことはほとんどない。もっぱら図書館通いである。頼んでおいた曽野綾子の本が入ったと連絡があって、図書館へ行って来た。わざわざ、県立図書館から取り寄せてくれた。200ページくらいの小さな本なので、今日中に読み終える。その一部を紹介したい。
『愛されるよりは、愛することを』
(相手を糾弾し続けた戦後の平和教育)
私は一応キリスト教徒なのだが、信仰上は実に怠情でいい加減な暮らしをしている。自分があんまり善良な暮らしをするようになったら、私らしくないとさえ思っている。私は「悪事も考えられる」という能力において、時々だが世間で働く。兵站の仕事とはそういうものだ。・・・・
それなのに私を知らない人ほど、私が「敬虔なクリスチャンだ」と書く。そういうことだけは書かない方がいい。なぜならそれは「きれいな花」と書くのと同じで、表現力のないことの表れだからである。花が美しいということを書きたいときは、読者が「ああ、それなら多分美しい花なんだろうなあ」と思うような描写をすべきで、「美しい」という結論を先に述べてなならない。結論を先に言うのは、文学でなくて公文書である。・・
自分に信仰などないと公言っしている人は、東日本大震災の後でも祈りなどというものを認めないのだろうと思っていたが、不思議なもので人々が集まればまず黙祷を捧げている。死後の魂を認めないと公言している人でも黙祷の時間は無視しない。・・・・
祈りは、自分の力の限度を知る人間が書いた一種の自己告白だ。聖書はたった一つ神が自ら残したという「主の祈り」があり、それは壮大な規模を持つ哲学だが、今日触れようと思うのは、あくまで生身の人間が書いた生々しい人間世界からの祈りである。
1182年、イタリアのアシジの大きな織物商を営む人の息子として生まれたが後年、有名な修道僧になった、フランシスコである。彼は一種の放蕩者として育った。酒を飲み、パーティーを開き、騎士にあこがれて裕福な父に人も羨むような立派なよろいや馬を買ってもらっている。・・・・
しかし、その後に転機が来る。神の命令を聞いたフランシスコは、今まで自分が住んでいた贅沢で浮ついた環境を一切捨てて、ほとんど乞食坊主のようになって、修道者としての道を歩き出すのである。今、全世界に広がるフランシスコ会士たちの修道服は、フードつきのだぶだぶの服の腰を荒縄のようなベルトを締め、サンダルを履いただけの質素な姿だが、これはフランシスコがかつての遊蕩生活を捨てた時、贅沢な服を脱ぎすてて文字通り裸体になった時、傍にいた人が慌てて着せた服と、傍らに落ちていた荒縄をベルト代りにしたものだという。それが修道会の制服になったのである。・・・・・
途中の経過を長々しく述べるのはよそう。私が今日書きたかったのは、このフランシスコの書いた有名な「平和の祈り」である。
『私をあなたの平和の道具としてお使いください。
憎しみのあるところに愛を、
いさかいのあるところに許しを
分裂のあるところに一致を
疑惑のあるところに信仰を、
誤っているところに真理を、
絶望のあるところに希望を、
闇に光を
悲しみのあるところに喜びをもたらすものとしてください、
慰められるよりは慰めることを、
理解されるよりは理解することを、
愛されることより愛することを、
私が求めますように。
なぜなら私が受けるのはあたえることにおいてであり、
許されるのは許すことにおいてであり、
我々がが永遠の命に生まれるのは死おいてであるからです』
この祈りはまるで今日書かれたもののように私の胸を打つ。何処の職場でも日常の生活でも、この祈りが「効かない」場所はない。戦後の教育は、ことごとくここに書かれている姿勢とは反対であった。
『憎しみのあるところに裁きを、
疑惑のあるところには徹底追及を、
誤っているところに謝罪を、
闇や悲しみをもたらす政治には拒否を』
であった。自分がその解決に、まず一枚噛むという姿勢がない。しかも解決は何時も他人がしてくれくれるべきものであった。
「悲しみがあれば慰めが用意されるべきで、
理解されない時はあくまで理解を要求し、
愛したりすれば損するから愛されることを求め、
受けるのは当然の権利で、国民が与えることを国家は期待すべきでない。
ことらが許すのは、相手が許してくださいと言った時だけだ』
だったのである。フランシスコの「平和の祈り」と、たえず相手を糾弾する姿勢をたたき込んだ戦後の平和教育と、どちらが和をもたらすのに有効か、時々考えてみるべきだろう。・・・・・・