イミタチオ・クリスティ

村の小さな教会

1月19日(金):サムエルの晩年

 

『サムエルは年老いて、その子らをイスラエルのさばきつかさとした。長子の名はヨエルといい、次の子の名はアビヤと言った。彼らはベェルシバでさばきつかさであった。しかし、その子らは父の道を歩まず、利に向かい、まいないを取って、さばきを曲げた(8-13)。神の人サムエルに、どうしてこのような子が出来たのであろうか。エリは、その子が呪うべきことをしているのを知りながら止めることをせず、神よりもその子を尊び(3:13,2:29)、ついに彼らを放縦に走らせ、滅亡の淵に急がせた。しかし、サムエルは、エリのような軟骨ではなかったはずである。では、彼の生涯にその子を感化することが出来ない欠陥があったのだろうか。否、彼はその生涯において最も公正であった。彼は民の前ではばかることなく言った。『見よ、・・・私は年老いて髪は白くなった。私の子らもあなたがたと共にいる。わたしは若い時から、今日まで、あなた方の前に歩んだ。私はここにいる。主のまえと、その油そそがれた者の前に、わたしを訴えよ。わたしは誰の牛を取ったか、誰のロバを取ったか。誰を欺いたか。誰をしいたげたか。誰の手からまいないを取って、自分の目をくらましたか。そのような事があれば、わたしはそれを、あなた方に償おう。』。民は答えた。「あなたは吾々を欺いたことも、しえたげたこともありません、また人の手から何も取ったこともありません・・・(主はこれを)あかしされます」(12:1~5)

そればかりではなく、サムエルには偉大な神の力が宿っていた。後年、サウルがダビデの敵となって、サムエルのもとにいるダビデを捕らえようとして使者をつかわすと、三度まで彼らは神の霊に打たれ、彼らもまた預言者の群れに加わって預言し、帰途を忘れてしまった。遂にサウル自身も出向いたが、彼もまた着物を脱いだ、同じ様にサムエルの前で預言し、1日、一夜、裸で倒れ伏すという結果になった。(19:19~24)

このように偉大な神の人が、その子を感化することが出来なかったとは思えない。しかし、サムエルの一生は余りに多忙であった。民を治め、教えるために時間も足らず、各地を巡回して留守がちであったようである。子供の教育はすべて、妻の手にゆだねられ得ていたのであろう。家庭に中心は何といっても母である、最も強く親しい不断の感化を子に与えるのもまた母である。サムエルの妻がどのような人物で暖か知ることはできないが、サムエルの母ハンナについて多く語っている聖書が、サムエルの妻については何も語っていないところから推測して、おそらく理想的な妻でなかったのであろうと思われる。子供をしばしば母の姿の反射鏡である。二人の子は父に似ず、母の感化を多く受けたのではあるまいか。晩年になって、サムエルのからだが思うにまかせず、家に留まる事が多くなってからは、その孫たちは彼の感化を受ける木か愛を得たのであろう。彼の孫にあたるヘマンは、歌を歌う者であり、また王の先見者としてダビデの王国の大立者一人となった。(歴代誌上、6ー33,25ー4ー6)。・・・・・・・

しかし、とにかく、サムエルの子らの堕落は、イスラエルの民が「王」を求める口実となった。イスラエルの長老たちは、サムエルのもとに来て言った。「あなたは年老い、あなたの子たちはあなたの道を歩まない。今は他の国ぐにように、われわれをさばく王を、われわれのために立ててください」サムエル上8-5)。これはサムエルに対しては謀反であり、排斥運動である。これを聞いてサムエルは喜ばなかったのは当然である。しかし、サムエルは怒らず、神に祈った。神はみこころ示された。「民が、全てあなたの言う所にの声に聞き従いなさい。彼らが捨てるのはあなたではなく、わたしを捨てて、彼らの上にわたしが王であることを認めないのである・・・今その声に聞き従いなさい」。主のみこころは寛大である。そむく民をなおもお捨てにならない。主にお仕えする人も寛大でなければならない。・・・・

サムエルがその民のためになした配慮は、実に至れり尽くせりである。まず、王に常例を示してあらかじめ警告し(8:9ー18)。それから彼らのためにサウルを王として選んだ。サムエルは、イスラエルは主の支配にある時にだけ幸福であることを知っていたから、何とかして神のみ旨に従って政治を行う王を立てようとした。サウルが主にそむいたことを知ると、サムエルは深く憂いて終夜主に呼ばわり、ついにダビデを王としてサウルの代わりに油を注ぐに至った。サムエルの眼中には、神の栄光とイスラエル幸福以外は何もない。それゆえ、散々自分を踏みにじった民のためにも、『わたしはあなた方のために祈ることを止めて主に罪を犯すことは、決してしないであろう。わたしはまだ良い、正しい道を、あなたがたに教えるであろう』と言っている(12-23)何という懇切さであろう。今まで一緒に行動していても、何か問題があるともはや何の援助もあたえず、そのために祝福を祈る子音さえしない人々が多くある世にあって、サムエルの寛容な態度は、私たちに多くのことを教える。・・・・・

サムエルはついに死んだ、イスラエルはそれを悲しんだ。彼の存在がどれほどの力で暖か。彼の死後にいよいよ痛切にそれを感じたであろう。サウル王などは、死んだ彼を呼び起こして助けを求めようとしたほどである(28章)サムエルの感化は後世におよび、彼の油そそいだダビデ王の手によって、イスラエル王国は堅く立ち、彼が創設した預言者学校によって、主の教えは隆盛に向かったのである。彼歯、メシヤ王国に至るまでも永久に記念されるべき、偉大な神の人であった。