イエスが生まれたのは、ベツレヘムであった。ベツレヒムはエルサレムの南方10キロにある小さな静かな村であった。その昔は、エフラタと呼ばれていた。ベツレヘムとは「パンの家」いう意味であるが、肥沃な田園地にあるベツレヒムには相応しい名前であった。
村は高さ760メートルの灰いろの石灰岩帯の上にあり、その山脈の両端が隆起して真ん中が鞍のようにくぼんでいた。それでこの村は、丘に囲まれた円形競技場のように見えた。ベツレヘムには長い歴史があった。ここでヤコブがラケルを葬り、その墓の傍らに記念碑を立てた。(創世記:48;7 35;20)。
ここにルツが住んでボアズと結婚した(ルツ記:2;1)このベツレヘムからルツはヨルダン川の彼方に、出生地モアブを眺めた。しかし、一番有名なのは、ベツレヘムがダビデの故郷、また町である事である。ダビデが敵に追われて山へ逃げたとき、このベツレヘムの井戸の水を慕い求めた。後年、レハベアムはこのベツレヘムの町の要塞を固めた。しかし、ひとびとが思い起こすベツレヘムは、あくまでもダビデの町であった。このダビデの血筋から神が選民のために救い主を送られることになっていた。預言者ミカは「ベツレヘム エフラタよ、あなたはユダの氏族のうちで小さい者だが、イスラエルを治める者があなたのうちからわたしのために出る」と予言した。
このダビデの町に、ダビデ王より偉い子孫が生まれることをユダヤ人たちは期待していた。神の受膏者が世に来られるのはここであると、ユダヤ人は信じていた。そして、その通りになった。・・・・・
イエスが生まれた馬小屋と馬槽の光景は私たちの心に深く刻みつけられているが、それが事実であったかどうかは確かでない。初代教父の中で傑出していた殉教者ユスティヌスは、紀元後150年頃の人で、出身地はベツレヘムの近くであるが、彼の説によれば、イエスはベツレヘムの村の近くの洞窟で生まれたという。それが本当かもしれない。
ベツレヘムの家は、石灰岩をくりぬいていて馬小屋を作っていた。こうした洞窟状の馬小屋でイエスは生まれたと考えられる。今日でもベツレヘムにはイエスが生まれたという洞穴があって、その上にローマ・カトリック教会の聖誕生教会が立っている。この洞穴は長い間イエスの誕生の地とされていた。最初にキリスト教に回心したコンスタンチヌス皇帝は、そこに大会堂を建てた。それが今日まで残っている。・・・・・
H・V・モートンという人は生誕教会を訪れた時の模様を書いている。
まず巨大な城壁に来ると、そこには小さな入り口がある。それにそれに非常に低くて、子供でも身をかがめないと入れないほどである。入り口を入って壁の向こうに教会がある。教会の祭壇の下に洞窟があり、その床に星形があり、ラテン語で「ここにてイエス・キリスト、処女マリヤより生まれ給えり」と。・・・・・
栄光の主が地上に来た時には、動物を寝かす洞窟の中で生まれた。今日ベツレヘムの生誕教会の中にある洞窟はそれと同じ穴であるかしるよしもない。しかし、洞窟の上の教会の入り口が身をかがめて入らなければならないほど低いということは、何か美しいものを象徴している。幼児イエスを拝するために全ての人が膝をかがめるのは、まことにふさわしいことだからである・・・・・・
今日は一日中荒れ模様、案外こんな日は、落ち着く。横着者で、こんな日は何もしなくていいような気がする。チカちゃんに二十四色のフエルトペンを届けなければいけないが、明日にしよう。でも、塗り絵をしたいなんて、自分からそんな気になれたのが、嬉しい。さてどんな色使いするか、楽しみだ・・・