イミタチオ・クリスティ

村の小さな教会

9月18日(土):使徒ヨハネ その後

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使徒ヨハネは、主の母をつつがなく送った後にエペソへ行った。エペソはパウロのかつての伝道地であった。その頃は、すでにパウロはローマで殉教し、エペソには有力な指導者はいなかった。エペソの信者たちは、主イエスの従弟にあたるヨハネを迎えて、どんなに喜んだであろうか。・・・

ヨハネはエペソを中心に、ほとんど小アジア全域に渡って、既設の教会を強化し、また教会のない町々、村々には自ら行って新設し、老いゆく齢をもいとわず、夜を日についで宣教した。そして多くの若い伝道者を養成し、各地の教会に派遣した。このヨハネの宣教行動は、ローマ政府の注意を引かぬはずはなかった。彼はそのため数知れず苦難を忍ばねばならなかった。そしてとうとうドミチアヌス帝の時に、捕縛され地中海の一孤島バトモス島に流刑にされた。・・・・・・

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バトモスはエペソの西南90キロ、エーゲ海にある小島で東西11キロ、南北9キロの小島である。主として石灰岩からなり、現在はわずかに小麦と葡萄が栽培されている。ローマ時代には、日本の八丈島のように犯罪者の流刑となっていた。今もこの荒涼とした所に、ヨハネのこもっていたといわれる洞窟が残っている。・・・・・・・

ヨハネはこの島で、かつて自分が伝道し、また設立した迫害下にある小アジアの教会のことが気がかりで、眠れぬ夜を幾夜も続いた。そのようなときに、彼は聖霊の満たされて、神よりの啓示を受けた。そして示されたままに巻物に記したのが「ヨハネ黙示録」である。