『イエスは、また別のたとえを彼らに示されて言われた。「天の御国は、からし種のようなものです。それを取って、畑に蒔くと、どんな種よりも小さいのですが、生長すると、どの野菜よりも大きくなり、空の鳥が来て、その枝に巣を作るほどの木になります』(マタイ13章31~32節)
パレスチナにあるからし種の木は、英国にあるからし種の木とは大分違っている。正確に言えば、からし種は種の中で一番小さいものではない。いとすぎの種はもっと小さい。しかし、東洋では小さいことのたとえになっていた。例えばユダヤ人は、一滴の血は一粒のからし種のように小さいと言い、祝祭法のの細則を破った時には、違反はからし種のように小さいと言った。イエスが、からし種のたとえを話されたのもこの意味からであった。パレスチナではこの小さなからし種が木のように大きくなった。トムソンは、「聖書と聖地」に次のように記している。「私は豊沃なアッカールの野で、この木が馬に乗った人の高さほどに育っているのを見た」。「私は案内人の助けを借りて、丈が3.7メートル以上もあるからし種の木を根から抜き取った」。この譬え話は誇張ではない。この木に鳥が群がる光景はよく見ることであった。鳥はこの木になる小さな黒い種を好み、木にとどまってそれを食べた。そこでイエスは言われた。イエスの国はからし種が木に育つようなものだと。その意味は明瞭である。天国は、はじめは非常に小さいが、無限に伸びる可能性があると、言うのである。東洋の言葉ではしばしば、大帝国を大木に、属国はその枝にとまって隠れる鳥にたとえられている。そこでこのこの譬え話は、天国は非常に小さいことから始まるが、最後は多くの国がその中に集められるという意味である。偉大なことも最初は些細なことから始まる。これが歴史の示す事実である。・・・・・・・
文明を変革する思想も、一人の人から始ま一人の人から始まる場合がある。英国で奴隷解放の先覚者は、ウイリアム・ウィルパーフィースであった。彼が奴隷解放を思いついたのは、トマス。クラークソンが書いた奴隷売買の内情を読んだ時であった。彼はあのビット首相の親友であった。彼はある日、ホルウッドにあるビット首相の庭園に、ビット氏とジョージ・グレンビル氏と一緒に座っていた。その庭の前にはケストンの谷が開け、風光明媚の地であったが、ウィルバーフォースの思いは風物の美ではなく、この世の汚点に集中されていた。突然ビットが彼の方を向いて、「君は今度の議会で、奴隷貿易について動議を持ち出して見たらどうか」。こうして一人の人の心に生まれた思想は、やがて、数百、数千の生活を変えたのである。思想はそれを信奉する人を必要とする。しかし、思想が信奉者を見いだした時には、そこに運動が起こり、それは無限に拡大していく。
団体、社会、学校、工場、等々など、キリスト教が浸透したところでは、最初の一人の人の証が機縁になる場合が多い、キリストのために燃える信仰をもつ者が、他人の心を燃やすのである。(バークレー)。

先ほど、真知子が寄って行った・施設に入る父親に荷物を届にきたのだろう。ほぼ半年ぶりかな。あの娘も相変わらず、大変だ。娘が三人いるが、三人とも統合失調症。週に三度、病院通い。・・・・・