イミタチオ・クリスティ

村の小さな教会

3月23日(月):絶筆深代惇郎

f:id:dotadotayocchan:20200323140825p:plain風邪で寝床に臥せりながら、上原 和著「斑鳩(いかるが)の白い道のうえにという本を読んだ」と書き出しで始まる天声人語の文章が深代氏の絶筆となった。・「斑鳩の白い・・・」

聖徳太子の悲劇を描いた本である。その一族は皆殺しにされるという悲惨な運命をたどるが、その太子ゆかりの「法隆寺」をいつかもう一度訪ねて見たいとこの筆者は天声人語を締めくくっている。風邪で臥せっていると言いながら、この人は何故か自分の病気がただ事でないのを薄々気づいていたのではないか。そんな気にさせられる。・・・この人は大仏次郎の絶筆について天性人語に書いている。当時、朝日新聞に「天皇の世紀」という大作が掲載されていた。まさに大仏次郎がライフワークとして渾身のおもいをもって書き続けていたものである。著者がどこかでインタビューを受けていた。「先生、この連載はいつまで続くんですか?」との問いに、「僕も分からないんだよ」と答えておいでだった。この途方もない連載が、休載になる前に書かれていた場面は、明治維新北越戦争、「官軍」を迎えうつ、河井継之助の最期の場面である。『火を斌(さかん)にせよ』とつぶやいた河井の死を締めくくったのが、司馬遼太郎であるが、大仏はもう少し悠然としていた。

関係者は、大仏先生が継之助の最期を書けるのか、その前に先生の命が尽きるのか、固唾をのんで見守っていた。・・・

連載1555回目、休載、と記して筆を置いた。その2週間後

静かに息を引き取ったという。負け戦は初めから分かっていたその最後のサムライを描いてみせた。それは、継之助同様に従容としておられたのだろう。大仏次郎、深代氏、司馬遼太郎三者三様に私にとって、「師」であったように思う。

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