『わたしは、全地のおもてにある種をもつすべての草と、種のある実を結ぶすべての木とをあなたに与える。これはあなたがたの食物となるであろう。また地の全ての獣、空のすべての
鳥、地に這うすべてのもの、すなわち、命のあるものには、食物としてすべての青草を与える』。そのようになった。神が造ったすべての物を見られたところ、それは、はなはだ良かった。創世記1章29節~31節(口語訳)
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狼は子羊とともに宿り
ひょうは子やぎとともに伏し
子牛、若獅子、肥えた家畜が共にいて
小さい子どもがこれを追っていく
雌牛と熊とは共に草をはみ
その子らは共に伏し
獅子も牛のようにわらを食う
乳飲み子はコブラの穴の上で戯れ
乳離れした子はまむしの子に手を伸べる
わたしの聖なる山のどこにいても
これらは害を加えず、そこなわない
主を知ることが
海をおおう水のように、
地を満たすからである
(イザヤ書11章)
☆ ☆ ☆
朝の日課に、犬たちの散歩がある。母親と息子の二匹いる。草むらに連れ出すと、青草を食べ始める。彼らの日課である。ちえ子と母犬、わが家の女たちは甘党で、スイカと林檎が好物である。私と息子は食べない。親子でも食事は別々に与える。しかし、水は一つの入れ物で足りる。青草を食べる時のように、草の取り合いや、水争いはしない。それらは、無尽蔵にあるので争わないのである。サバンナでライオンも満腹の時は、目の前でウサギが駆けっこしていても襲わない。私達は何故、人をさげすみ、悪意をもって見、相争うのか、エバの犯した罪はむさぼりである。エデンには青草が生い茂り、木の実がたわわに実っていたのに・・・・・神の恵みが十分なのに、それ以上
欲したところに、罪があった。
主を知ることが、海をおおう水のように、私を満たして欲しい。