私たちの齢は七十年
健やかであっても八十年
詩篇90篇
以前、働いてもらっていた大工さんが、ある頃から一定以上の賃金を辞退するようになった。なぜかなとおもってみたが、深くは詮索しなかった。最近ようやくそのその意味が分かりはじめた。ここ何年か自分も足腰が弱ってきて、前のように動けなくなった。本当に以前より半分も仕事が出来なくなって、我ながら愕然とさせられるおもいなのである。そういえば、いつか、「棟梁」も、あまり動けなくなった、と言っていた。
丁度年齢的に私の場合と重なった頃である。・・・・・・
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日々衰えていく体、それは単なる疲れではなく、回復不能な弱さが積み重ねられていくのである。失われていくものである。
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藤沢周平の作品に、三屋清左衛門残日録というのがある。家督を譲って隠居した侍の残日日誌を描いたテレビドラマで、仲代達矢が演じた。さすが、名優、隠居した武士の寂寞感を演じていた。
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あなたは人をちりに帰らせて言われます
「人の子らよ、帰れ」
創世記(3:19)において、この言葉は裁きのことばであった。『あなたは、顔に汗を流して糧を得、ついに、あなたは土に帰る。あなたはそこからとられたのだから。あなたはちりだから、ちりにに帰らねばならない』
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しかし、古(いにしえ)の詩人は(73篇)でこう謳いあげました。
『この身とこの心とは尽き果てましょう。しかし、神はとこしえに心の岩、私の分の土地です。それゆえ、見よ。あなたから遠く離れている者は滅びます。
あなたはあなたに不誠実な者はみな滅ぼされます。しかし、私にとっては、神の近くにいることが、しあわせなのです。
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主(しゅ)イエスはそのご生涯において、救いの小道を示して
下さった。
主の小道は(こみち)はみな恵みと、まことである。
その契約とさとしを守る者には。(詩篇:25篇)