イミタチオ・クリスティ

村の小さな教会

10月27日(金):私たちの齢は七十年 健やかであっても八十年

以前、働いてもらっていた大工さんが、ある時期から一定以上の賃金を辞退するようになった、何故かなと思って見たが、深くは詮索しなかった。最近ようやくその意味が分から始めて来た。ここ、一二年自分も足腰が弱って来た、前のように動けなく成ってきたのである。本当に以前より半分も仕事が出来なくなって、われながら愕然とさせられる思いなのである。そう言えば「棟梁」もいつかあまり動けなくなってきたと言っていた。丁度今の私の年齢の頃である。★★★日々衰えていく体、それは単なる疲れではなく、回復不能な弱さが積み重ねられていくものである、失われていくものなのである。

藤沢周平の作品に「三屋三左衛門残実録」と言うのがある。家督を譲って隠居した侍の残実日誌を描いたドラマで、仲代達矢が好演した。さすが名優、隠居した武士の寂寞感を見事に演じていた。★★★

あなたは人をちりに帰らせて言われます。【人の子よ、帰れ】。創世記(3:19)においてこの言葉は裁きの言葉であった。【あなたは、顔に汗を流して糧を得、ついに土に帰る。あなたはそこからとられたのだから。あなたはちりだから、ちりに帰らなければならない。★★★しかし、古(いにしえ)の詩人は(73篇)でこう謳い上げた。【この身と心とは尽き果てましょう。しかし、神はとこしえに私の心の岩、私の分の土地です。それゆえ、見よ、あなたから遠く離れる者はみな滅ぼされます。しかし、私にとっては、神の近くにいることが、しあわせなのです。★★★主イエスはそのご生涯において、救いの小道を示してくださった。主の小道はみな恵と、真である。その契約と悟志を守る者には、(詩篇25)。