イミタチオ・クリスティ

村の小さな教会

7月16日(金):思いわずらうな

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『そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。こういうものはみな、異邦人が切に求めているものなのです。しかし、あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。だから、神の国とその義をまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます』マタイの福音書6章31節から33節)

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ロンドンに非常に偉い医者がいた。彼は中風で寝たきりであったが、驚くほど快活で、その微笑には勇気と喜びが輝いていたため、誰も彼に同情するのを忘れるほどであった。彼の息子たちは父親を尊敬していた。・・・

息子の一人が成長して、人生の門出をするにあたり、グレートハート博士(心の広い医者)は、息子に適切な忠告を与えた。

『わが子、ジョニーよ。自分の責任を果たし、紳士として行動しなさい。そして、あなたが直面する一番大きな問題は、起こりもしないことを心配することだ、ということを覚えなさい』・・・・・・・・

将来を思い煩うことは、無駄な骨折りである。未来が現実となった時、恐れていた通り恐ろしい場合は殆どない、といってもよい。思い煩いは、無益であるばかりなく、有害ですらある。現代病と言われる二つの典型的な病気は、胃潰瘍と冠状動脈血栓症で、これは多くの場合思い煩いから起こる。笑う者ほど長生きする。医学がこれを証明する。思い煩いは神経をすり減らし、肉体を消耗させる。また、判断力を弱め、生活力を減退させる。我々は常に全力を尽くさなければならない。それでも人間には限界があるから、あとは神に任せるのである。・・・・・・・

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思い煩いは本質的に不信仰である。

思い煩いは外的条件によって起こされるものではない。同じ条件の下でも、一人は全く平静で、もう一人は死ぬほど心配する、ということがある。思い煩いも、平和も、こころが生み出すもので、生活環境によって起こされるものではない。・・・・・・・

ある日ドイツの神秘家タウラー次のような物語を語っている。

タウラーがある日、乞食に会って言った。

「友よ、神様がよい日を与えられるように」

乞食が答えた。

「神様のお陰で、今日までに悪い日は一日もありません」

そこでタウラーは言った。

「友よ、神様があなたを幸福にされますように」

「神様のお陰で、私は不幸になったことがありません」

そこでタウラーは驚いて、「それはどういう意味ですか」たずねた。

「それはですね」と乞食は言った。

「お天気のよい日は神様に感謝し、雨が降れば神様に感謝し、ものが豊かにあれば神様に感謝し、お腹がすけば神様に感謝するからです。神のみこころこそ、私が行いことであり、神を喜ばせることが私の喜びなのです。私が不幸でもないのにどうして不幸だと言えましょうか」。

タウラーは驚いてこの男を見て、「あなたは誰ですか」と聞くと。

「私は王様です」と答えたので、「あなたの王国はどこですか」と聞きかえしました。すると乞食は静かに答えた。「私の心の中です」・・・・・

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昔、イザヤは言った。

「あなたは全き平安をもってこころざしの堅固なものを守られる。彼はあなたに信頼しているからあである」イザヤ書26章3節。

思い煩いより重い罪はあったとしても、これほど人間の能力を低下させるものはない。これは、イエスの命令である。これはまた平和への道であり、同時に力への道である。

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