昔、むかし、とある小さな村に一人の女の人が住んでいました。
近所でも評判の、心の優しい、信心深い人でした。
ある日の夕暮れ時、いつものようにお祈りをしていました。
山仕事に出ているご主人が、今日も無事仕事を終え、帰れます様に、
おなかにいる赤ちゃんが守られます様に
神様にお願いしていたのです。
お祈りを終え、ふと目をあげると
見知らぬひとが前に立っていました。
女の人は驚き、とても怖かったのですが
勇気を出して言いました。
「あなたは、どなた様でしょうか?」
その人は言いました。
『女の人よ、怖れることはありません。わたしは神の使いサブリエルです』。
「まぁ、そんなにお偉い方が私にどんな御用がおありなのでしょう?」。
『神はあなたが信心深いのを見られ、お恵みをくださいました。何か、願いごとがあれば聞いて下さいます』
女の人は、しばらく考えてから、遠慮がちにいいました。
「神様のお心にかなうのでしたら、生まれてくる子が誰からも愛され子になるよに・・・・」。
『そのようになります』サブリエルはそう言い残して彼女の前から消えました。・・・・・
さて、それから、その女の人に男の子が生まれました。
お父さんは大喜びで、その子に・・ナルシス・・という名前を付けました。ナルシスはとても可愛かったので、お祝いに来た親戚の人や、近所の人たちは、その子を見るなり、みんなナルシスを大好きになりました。
こうしてナルシスは、みんなに愛され、見守られてすくすくと成長していきました。やがてナルシスは立派な青年になりました。
彼は親元を離れ、隣町で商売を始めることになりました。街の一角に雑貨店を開きました。雇い入れた人は皆大好きなご主人の為に、一生懸命働いてくれたので、お店は繁盛し、ナルシスはお金持ちになりました。
町中の人気者となり、誰一人ナルシスを知らない者などおりませんでした。誰も彼もナルシスに憧れ、ナルシスほど幸せな者はいないと思っていました。・・・・・・
時が流れ、何年か過ぎた頃から、ナルシスは考え込むようになっていました。「みんなは僕のことを幸せ者だというけれど、本当に僕は幸せなのだろうか」。いつの頃からか、ナルシスの心の中にポッカリと穴が開いて、そこを冷たい風が吹き抜けていくような寂しさを感じるようになっていました。・・・・・・・
ある日の夕暮れ時、ナルシスはお母さんがいつもお祈りしている姿を思い出しました。「そうだ、僕もお祈りしてみよう」。
ナルシスがお祈りをしていると、何処からともなく声が聞こえてきました。
『ナルシス、ナルシス、』。名前を呼ばれて、おもわず、「はい、!」と返事をしました。
見ると傍らに誰か立っていました。
「あなたは、どなたで様で私にどのような御用がおありなのでしょう」。
『怖れることはありません。わたしは神の使いサブリエルです。神はあなたの祈りを聞かれました。それで、わたしを遣わされたのです』。
「あぁ、天使様、お聞きください。皆は私を幸せ者だと言います。でも、今、私の心は悲しみでいっぱいなのです」。ナルシスはな涙ながらに訴えました。
『聞きなさい。ナルシス。あなたが母の胎にいる時、この子が誰からも愛されるように願いました。神はその願いを聞き入れました。これまであなたは誰からも愛されてきました。しかし。今。それがあなたの重荷となり、あなたにとって呪いとなっているのです。ナルシスよ」。
「はい」
『愛する者になりなさい』。
静かな時が流れて、ナルシスの心に安らぎのようなものが宿ってきました。気がつくと、そこには誰もいませんでした。
翌朝早く、ナルシスは一通の手紙を残して旅へ出ました。
「お父さん、お母さん、僕は旅へ出ます。僕の持ち物は全部困っている人に分けてあげてください・・・さようなら」
それからナルシスは、村を巡り、町々を訪ね神の言葉を語りながら旅を続けました。はじめは、子供たちに乞食坊主、乞食坊主と石を投げつけられることもありました。お百姓さんが盗人と間違えて、棒切れを持って追いかけて來ることも度々でした。でも、ナルシスは少しも悲しくありませんでした。聞いてくれる人のいるところどこででも、いつも優しく、温かく神の言葉を語り続けました。・・・・・
やがて、国中にナルシスの噂が広まって、街でも村でも人々はナルシスが訪ねて来て、神様のお話をしてくれるのを心待ちにするようになりました。
そうして、時が過ぎ去り、何年も何年もナルシスは旅を続けていきました。やがて、やがて、ナルシスも歳をとり、すっかり老人になりました。
それでも、み言葉を語るために旅を続けておりました。
ある日の夕暮れ時、ナルシスの老いた足では、もう峠を越えて次の村へ辿り着くことができませんでした。ナルシスは野宿しようとして岩陰に身をひそめ、その晩はそこで眠りにつきました。
翌朝、小鳥たちがさえずりはじめました。そうした野宿の朝はいつも彼女たちのさえずりでナルシスは目を覚ますのでした。でもその朝は、ナルシスは起きてきませんでした。覗いてみると、その顔はとてもよい夢を見ているように、微笑みが浮かんでいました。しかし、ナルシスのからだは冷たくなっていました。・・・・・
小鳥たちの歌声が止むと、どこからともなく一人の人が現れて、ナルシスの傍らに立っていました。その人はずっと昔、ナルシスに現れたあの天使サブリエルでした。サブリエルは、長い旅ですっかりボロボロになっていたナルシスのマントで、その冷たくなったからだをそっと覆い、抱き上げて、静かに慈愛のこもったお声で言いました。『わが子よ、わたしは、いつもお前と共にいたよ』・・・・・・
サブリエルはその子を抱えたまま天に昇っていきました。
このサブリエルこそイエス様のお姿だったのです。