イミタチオ・クリスティ

村の小さな教会

8月15日(月):人の思い煩い

『空の鳥を見なさい。種まきもせず、刈り入れもせず、倉にに納めることもしません。けれども、あなたがたの天の父がこれを養っていてくださるのです。あなたがたは、鳥よりも、もっと優れたものではありませんか』(マタイの福音書:6章26節)

ある日、タウラーという人が乞食に会い、

「友よ、神様がよい日を与えられますように」と言うと、

乞食は「神様のおかげで、今日まで悪い日は一日もありません」と答えた。

そこで、タウラーは「友よ、神様があなたを幸福にされるように」と言うと、

乞食は、「神様のおかげで、私は不幸になったことがありません。」と答えた。そこでタウラーは驚いて、「それはどういう意味ですか」と訪ねた。「それはですね」と乞食は言った。「お天気の良い日は神様に感謝し、雨が降れば神様に感謝し、物が豊かになれば神様に感謝し、お腹がすけば神様に感謝するからです。神のみこころこそ、私が行いたいことであり、神を喜ばせることが私の喜びなのです。私は不幸でもないのにどうして不幸だと言えるでしょうか」。

タウラーは驚いてこの男を見て、「あなたは誰ですか」と聞くと、「私は王様です」と答えたので、「あなたの王国はどこですか」と聞き返した。すると、乞食は静かに答えた。「私の心の中です」・・・・・・・

昔イザヤは言った。「あなたは全き平安をもってこころざしの堅固なものを守られる。彼はあなたに信頼しているからである」(イザヤ:26;3)

思い煩いよりも重い罪はあったとしても、これほど人の能力を低下させるものはない。「明日のことを思いわずらうな。」これはイエスの命令である。同時に力への道である。