イミタチオ・クリスティ

村の小さな教会

7月12日(水):動じない神に背負われて、慰められて

【あなたたちは生まれた時から負われ、胎を出た時から担われきた。同じように、わたしはあなたたちの老いる日まで白髪になるまで、背負って行こう。わたしはあなたを造った。わたしが担い、背負い、救い出す】(イザヤ書46:3~4)

新型コロナ五類移行から一か月になります。私の手元には六回目の接種券がありますが、かかりつけ医師は以前より、積極的に薦めなくなりました。また、いろんな集会も対面形式になって来ました。世の中が動き出した感じがします。しかし、なかなかマスクを外すことができません。習慣でしょうか、用心のためでしょうか、はたまた世間を気にしているためでしょうか。・・・・

さて、私たちは、誰でも病を経験します。生まれつき健康なひとであれ、病弱なひとであれ、病を経験することにかわりはありません。遅かれ早かれ、あるいは多かれ少なかれ、肉体的であれ精神的であれ、私たちは病を経験します。私事で恐縮ですが、ここ数年体調に異変が生じ今まで経験したことがなかった週単位の入退院を繰り返して不安んあ日常を過ごしておりましたところ、今年の二月、妻が、教会の主日礼拝が始まる直前に倒れ頭が真っ白になる経験をしました。幸いにして皆様の祈りに支えられまして一命をとりとめ、今もなお左半身麻痺と言語障害の回復に努めております。・・・・・・

毎日の変わりない日常がある日突然襲われるとき、私たちは右往左往します。そんな打ちひしがれる時、神はイザヤを通して語られます。慰めと癒しのみ言葉に励まされます。【わたしの計画は揺るがない。私は動じない。私はあなたを負い、白髪になるまで背負う今のお目たちは歳老いて白髪となり弱り果てている】そんな変わらない神様に背負われて生きて行こうと思います。安心しながら、一喜一憂しながら生きている昨今です。(岐阜キングス・ガーデン 副理事長 河合 昇)

先日、久しぶりに岐阜キングス・ガーデンの理事長竹内伸秀先生かお便りをいただいた。上の文章は、会報に載せられているものである。皆、それぞれに80歳を越えている人たちでもあるようだ。突然そう言うことが起こるのである。幸い一命をとりとめたとのこと。幸いなことであったが、しかし、自分も含め、「突然の出来事」に常に心ぞなえをして行かなければないらないのだろうと、思わせられ、信仰をもってすべてのことに対処できるように、祈りを欠かせない。・・・・・・・

先生ご夫妻も、81歳、82歳、奥さまの難病の脚も小康状態のようで嬉しい限りです。先生たちが、秋田の地を訪れて下さったのは二年前の秋、楽しい思い出沢山つくることができました。今年また、おいでになるかも知れないので、祈りつつ待つことにしよう。