イミタチオ・クリスティ

村の小さな教会

6月19日(金):遺愛集・島 秋人

私がいらぬ文章を書くより、この歌集の最初に「著者のこと」と題して記されている、そのことをまず紹介したい。

『昭和9年6月28日生まれ、幼少を満州で育った。戦後父母とともに新潟県柏崎市に引き揚げたが母は疲労から結核になりまもなく亡くなった。本人も病弱で結核やカリエスになり、七年間もギブスをはめて育ったが小学校でも中学校でも成績は一番下だった。まわりから、うとんじられるとともに性格がすさみ転落の生活がはじまった。少年院にも入れられた。昭和34年雨の夜、飢えにたえかねて農家に押し入り2千円を奪い、争ってその家の人を殺し死刑囚として獄につながれることになった。中学の頃、たった一度だけほめられた記憶を忘れられず、

獄中からその先生に手紙を出したことがきっかけとなり、ひめられた”うた”の才能の扉が開かれ、身も心も清められていった。

昭和42年11月2日小菅にて処刑』。

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    ☆        ☆         ☆

この歌集と島秋人について、いろいろなところで文章に綴ってきた。彼の処刑は、私の人生観を大きく変えるできごとであった。この男の刑死以来50余年の歳月が流れたが、この男の事は忘れまいと心に決めてきた。名もなき小さな男の情念とこだわりである。今の時代ならば、極刑にならなかったであろうが、戦後の厳しい時代である。多くの助命嘆願の声もむなしく、「死を賜った」・・・・・・・・・・

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母あらば 死ぬ罪犯す事なきと 

           知るに尊き 母殺めたり

☆わたしの母が生きていたら、ひもじい思いもせず、罪を犯す

 こともなかったろうに、そのたれにとっても「尊い母」を殺めてしまった。罪は限りなく重い

 

詫びる日の迫り來し今ふるえつつ

         憶ふことみな優しかりけり

☆刑死の日が近づいてくる。心がうちふるえてくる。しかし、あの人、この人、皆優しく、優しい世界を見せて頂いた。

処刑前日、彼は最後の一首を遺している。

この澄める こころ在るとは 識らず来て

            刑死の明日に 迫る夜温し

このわずか33年しかなかった男の人生での終末で、見えるもの、おもうことあのこと、このことどもが皆優しかったとうたっている。この心情に偽りや、無理にそう思い込んだふしはみられない。それはなぜか、しへんの73の中で、詩人がいみじくも語っている。「神の聖所に入り、悟った」と。これらの詩人も、歌人もこの世のあらゆるしがらみから離れ、開放され

「神の聖なる所」にたたされたとき、この世界がどんなに美しく、優しさに満ちているものであるか「悟った」のである。

それが福音というものであろう。あのこと、このことどもが醜く見えるとき、きっと、福音がまだ遠くにあるときだろう。

・・・島 秋人はキリスト者として、処刑台に立った。・・・

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