イミタチオ・クリスティ

村の小さな教会

8月28日(金):見える教会 見えない教会

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・・・真の教会のしるし・・・

『教会とは、聖徒の会衆であって、そこで福音が正しく教えられ、聖礼典が正しく執行されているところである』(アウグスブルグ信仰告白・第七条)・・・・・・・・・

建物に十字架を掲げた教会堂は、確かに存在する。それを我々は普通に教会と呼んでいる。そこには、信仰告白をし、聖礼典を受ける信徒の群れが存在する。その教会の頂点におられるのが、イエス・キリストである。これがいわゆる「目に見える教会」である。そこには多いにしても、少ないにしても、信徒が存在する。

その信徒の群れ全てが、植えられた麦のようではない。毒麦が混じっているのである。そして、その毒麦を我々は正確に判別できないし、また、してもならないのだろうと思う。それは人の心を読まれる神のみが為し得ることなのである。そこに、我々の目に見えないもう一つの「真の信徒たちの」見えない教会が存在する。イエス・キリストが花婿で、教会が花嫁であるならば、この目に見えない教会こそが真の花嫁なのである。・・・・・・

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見える教会のある所には、見えない教会も存在する。又、見える教会は、見えない教会のしるしである。「この混ざり合った群れには、いつも、幾人かの選ばれた人たちがいる。すなわち、真の信仰をもって、神のみことばを受け入れ、聖霊を受けた人たちである。なぜなら、み言葉の宣教は、決して、実を結ぶことなしにはあり得ない。聖書が、教会と呼んでいるのは、実に、この真の純粋な、小さな群れのことである。・・・・・・・この小さな群れは人の目には見えない(判別できない)。繰り返しになるがこの目に見えない小さな群れが真の教会である。

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A・・・「神の民は、神のみ言葉を持っている」

    わたしの羊はわたしの声に聴き従う(ヨハネ10章)

B・・・「神のみ言葉は、いつも実を結ぶ」(イザヤ55章)

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わたしの羊はわたしの声に聞き従う

 

 

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わたしは葡萄の木あなた方はそのえだである。実を結ぶ。