イミタチオ・クリスティ

村の小さな教会

8月30日(日):種を蒔く人

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イリアムバークレーがその著書の中で、H・L・ギーの書いた一つの逸話を紹介している。それによると・・・・・

ギー氏の所属していた教会に、トマスという身寄りのない老人がいた。彼の友人はみな先に他界して、彼を知っている者もほとんどいなかった。このトマスが死んだとき、ギー氏は、葬式には誰も来ないだろうから、せめて自分だけでも行って、老トマスの永眠の地を見届けて来ようと考えた。その日は吹き降りで、会葬者は一人もいなかった。棺が墓地に着くと、門のところに一人の兵士が待っていた。時は戦時中であった。この兵士は将校であったが、レインコートには軍の階級章がついていなかった。この兵士は葬式に列するために墓にきて、葬式が終わると一歩踏み出して

掘り起こされた墓の前に立ち、あたかも国王に対するように敬礼した。ギー氏はこの兵士と一緒に歩き始めた。風が吹いてきたときにレインコートが開いて軍服の肩章が見えた。

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彼はなんと旅団長(将軍)であった。この将校はギー氏に言った。「あなたは多分、どうして私がここに来たのかと不思議に思っておられるでしょうが、トマスはずっと前、わたしの日曜学校の先生だったのです。その頃私は乱暴者で、彼を随分困らせたものです。彼は、私に何をしたか知らないでしょうが、私が現在あるのはみんな彼のおかげです。私は一生、彼の恩を忘れません。そこで今日は、彼の生涯の終わりに敬意を払いに来たのです」。・・・・・・

トマスは自分のしたことを知らなかった。宣教者、教師もこれと同じである。我々の仕事は種を蒔くことである。気落ちせずに種を蒔いて、結果を神にまかせていくのである。・・・・・

種を蒔くときにはすぐに結果があらわれることを期待することはできず、また期待してはならない。自然の成長には時間がかかる

子供時代に心に蒔かれた種が眠ったままになっていて、何かの時に目覚め、その人の大きな力になることも珍しくはない。・・・

今の時代は、何事も早急に結果があらわれることを期待するが、種を蒔く者は、忍耐と希望をもって蒔き、刈り入れ迄長い年月がかかることを覚えていなければならない。・・・・・・・

バークレーは、イエス様の「種蒔きとさまざま土地」のたとえ話の解説としてこの逸話を書いている。

この種蒔きの譬えは、マタイの福音書13章にある。他にマルコ、ルカも同様にこの譬え話を載せている。因みにヨハネ福音書には、こうした譬えは記されていない。

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