イミタチオ・クリスティ

村の小さな教会

12月11日(日):好機を逸した悲劇

『また、別のひとりの弟子がイエスにこう言った。「主よ。まず行って、私の父を葬ることを許してください。」ところが、イエスは彼に言われた。「わたしについて来なさい。死人たちに彼らの中の死人たちを葬らせななさい」』(マタイ8章21~22)

エスに従いたいという人がもう一人いた。彼はイエスに「まず、父を葬りに行かせて下されば、私はあなたに従います」と言った。これに足してイエスは、「わたしの従って来なさい、そして、その死人を葬ることは、死人に任せなさい」と答えられた。この答えは、始めて聞く人には非常に冷酷にひびく。・・・・・

ユダヤ人にとって、死んだ親に対しては身分相応の葬式をすることは、神聖な義務であった。ヤコブが死んだとき、ヨセフは、父を葬りに行く許可をパロ王に求めた。「わたしの父はわたしに誓わせて言いました。「わたしはやがて死にます。カナンの地に、私が掘っておいた墓に葬ってください」。それでどうかわたしをのぼって行かせ、父を葬らせてください。そうすれば、わたしはまた帰ってきます」(創世記50:5)。

この言葉は非常に厳しく、非情な命令なので、今までにいろいろな説明がなされてきた。一つの説明は、イエスが使われたアラム語ギリシャ語に訳すと気に間違いがあったものっで、イエスはこの男に、葬儀屋に父の埋葬を依頼するように言われたのだという。エゼキエル書39章15節には不思議な言葉がある「国を行巡る者が、行きめぐって、人の骨を見る時、死人を埋める者が、これをハモン・ゴグの谷に埋めるまで、そのかたわらに、標を建てて置く」。これは、「埋葬者」と称する一種の役人がいたことを暗示している。イエスはこのような役人に埋葬を任せるように言われたのだと説明するが、あまり当を得たものではないよう思われる。・・・・・

他の説明は、この言葉は事実厳しい命令で、イエスは、この男の住んでいる社会は罪に死んだものであるから、父親の埋葬が終っていなくても、出来るだけ早く脱出するように、たとえ最も神聖な義務があっても、そのためにクリスチャン生活にはいるのを遅らせてはならない、と言われたのである、と言う。・・・・・

しかし一番正しい解釈は、当時のユダヤ人が、「私は父を葬らなければならない」と言った言葉の意味を理解することにあると思われる。この言葉は、今日でも当時と同じような意味に用いられている。ウェントンは、シリヤの宣教師が語った言葉を記録している。この宣教師は、日頃親しくしている、知的で富裕なトルコの青年に、学校を出たら、教育を完成し、見識を広めるために、ヨーロッパへ旅行することを勧めた。するとこのトルコ人は、「私はまず父を葬らなければなりません」と答えた。この宣教師は、この青年の父親が死んだのだと思って同情と悲しみを披歴すると、父親はまだ元気でいるとのこと、そしてその言葉の意味は、旅行に行く前に、両親と親戚に対する義務を果たさなければならないこと、すなわち、父親が死ななければ家を留守にすることはできないことだと説明した。それは何年先のことかわからないのである。この福音書に出て来る男が語ったのも、確かにこの意味であると思われる。彼は、「私は、父親が死んで自由になったら、あなたに従います」と言って、事実、イエスに従うことを無期限に伸ばしたのである。賢明なイエスは人の思いを知り、人は今、そのときに従わなければ、永久に従わないことを知っておられたのである。・・・・・・

われわれもしばしば、向上したいという瞬間の願望を感じるが、それを実行に移さないで過ごすことが余りに多い。われわれは、与えられた機会を捕らえずに逃してしまうことが多い。これは人生の悲劇である。何か立派な行いをしよう、今までの弱さや欠点をここで止めよう、誰かに言葉をかけよう、同情、忠告、奨励の言葉をかけよう、と思っている間に時期を逸してしまい、悪いことは克服できず、言うべき言葉を言わずに終わってししまうのである。われわれの間で最も優れていると思われる人たちの中にも、ある程度の無気力、無感覚があり、物事に逡巡し、延引する傾向がある。また、ある種の恐怖と不決断がある。そして大事な瞬間に行動を起こさず、思っていることが事実として現われて来ないのである。・・・・・

エスはこの男に対して言われる。「今、住んでいる社会は罪に死んでいるので、あなたは、そこから抜け出そうと思っている。そして何年か経って父親が死んだときには、そこから離れることができると思っている。しかし、わたしはあなたに言う。今、直ぐこの世から離れなさい。そうでなければ、今後決して離れることはできない」と。

H・G・ウェルズは、自叙伝の中で、自分の人生の転換期について語っている。彼は呉服屋の内弟子になっていたが、そこでは将来がないように思えた。ある日、彼に「内なる預言の声」聞こえた。「おそくならないうちに、早くこの仕事をやめなさい。どんな犠牲を払ってもやめなさい」。彼は躊躇せず、直ぐにやめてしまった。それゆえにあの、有名なH・G・ウェルズになったのである。願わくば、神が我々に決断力を与え、われわれを、好機を逸した悲劇から救われんことを。・・・・・・・・