イミタチオ・クリスティ

村の小さな教会

9月29日(火):芸能人

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今このコロナ騒動の中で一番困っているのは、多分、芸能人だろう。「三密」を避けるようにおふれが出ているくらいだから、人を集めるのはご法度になっている。極端な言い方をすれば、人を集めてなんぼの商売である。ここ何日か、酒酔い運転で騒がれている者もいる。それにもっと深刻なのは、命を絶つ芸人が多く出ていることである。一般人と違って彼らは「つぶし」がきかない。サラリーマンなら転職すればいいが彼らにはそれが出来ない。俗な言い方をすれば、天国と地獄、その地獄を見ているのである。売れれば、大金を稼げ豪華な暮らしができるが、落ちてしまうと、

それこそ文字通り奈落の底である。その落差はあまりにも大きい。

もう何十年も前に、叶 順子(?正確な漢字は忘れたが)という女優さんがいた。彼女は突然芸能界を引退し、北欧の国へ旅立ち姿を消した。いい女優さんなれたのにと、時々思うことがある。あのまま続けていたらおそらく日本でも有名な女優になっていただろうと思う。どういう事情があったのかは知らないが、忽然と姿を消した人だった。多分、賢い女性だったのだろうと、私は思っている・・・・・

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日本特有の芸能と言えば、歌舞伎に代表されると思われるが、元々は、河原者の見世物であった。出雲阿国がはじまりとされているが、彼女は京都四条河原に棲んでいた。うたや踊りで見物人からお金をもらって身を立てていたのだが、そうした河原者たちは、士農工商の枠外にあり、人別長にも入っていない。非人と河原者の区別は学者によって異なるが、いずれにせよそうした部類の人たちであった。「奇抜さ」が特徴であった。そうでなければ人が集まらず、見物料がもらえないからである。彼らを、人々は「かぶく者」と呼んだ。かぶく者、かたむき、ふざけるとの意味である。随分ふざけたことをしたようである。白昼堂々とストリップまがいやそれ以上のこともしていた。阿国は芸を売り物にした。しかし、芸の出来ない女たちは、次第に身を売るようになっていった。阿国は慶長8年(1603年)女院御所で踊ったという記録もあるが、この傾いた(かぶいた)者たちの芸が歌舞伎芸能へと発展していった。それに伴って、女芸人は排除されていった。何故なら、女たちは芸が売れなくなると、身を売るようになるからである。それでは芸の精進も発展もなくなる。そいう事情もあって今の歌舞伎役者には、女性はいない。女形もすべて男たちが演じているのである。・・・・・・・

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私は歌舞伎なんぞ観たことはない。しかし、日本を代表する芸能であることには変わりはない。今の芸能にたずさわる人たちも、出雲阿国(出雲のお国)のように御所で披露できるような芸人になれるように・・・・・

因みに、阿国は晩年出雲へ帰り、そこで尼となったという。京都大徳寺の三玄院に墓所があるという。・・・・・・・・・、

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