イミタチオ・クリスティ

村の小さな教会

11月5日(木)::ユダヤ人の殉教

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元々ローマ人は七つの丘とテヴェレ川の間の集落に棲んでいた田舎者で、およそ「文化」とは縁遠い者たちであった。ただ、腕っぷっしは強かったようで、「ローマ帝国」をつくりあげた。成り上がりの帝国で、丁度今のアメリカのように国家としての歴史は浅く、それだけに独自の文化と言うものを持ち合わせていなかった。彼らの憧れは、ギリシャであった。あらゆるものをアテネから吸収した。哲学、宗教、芸術、言語、生活様式などを真似た。・・・・・

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紀元前170年頃、シリアにアンティオコス・エピファネスという国王がいた。彼もまた異常なほどギリシャのものを愛し、ギリシャ文化とギリシャ宗教の布教師をもって任じていた。ユダヤ人はその律法で豚肉は決して食べなかった。エピファネスは、ユダヤの老祭司エレアザルにその肉を食べるように強要した。しかし、この老祭司は拒絶した。王は怒って席を立った。王の守備の兵士は同情して、別の肉を持って来て、これを豚肉であるようなふりをして食べなさい、と言ったのだが、「もしわれわれが、豚肉を食べる口実をつくったならば、若い者に不信の標本を示すことになります」と拒絶した。兵士たちは怒って老祭司を拷問して、焼き殺した。

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続いて、7人の兄弟が殉教する。彼らも同じような選択を迫られ、同じような脅迫を受けた。彼らには「車輪、歯車、掛けかぎ、石うち機、大鎌

・・・・」あらゆる拷問が課せられた。しかし、彼らもかの老祭司のように神への忠節を曲げず死んでいった。・・・・・・・・

これらのことを、へブル人への手紙の著者は、考えていたであろうし、我々もこのことを忘れてはならない。こういう人たちに信仰の故に、ユダヤ教の信仰は完全に抹殺されなかった。もし、ユダヤ教の信仰が抹殺され、消滅してしまったならば、イエスは果たしてこの地上に来られたであろうか。我々が今日キリスト信仰をもつことが出来るのは、アンティオコスがユダヤ教を壊滅させようとして徹底的な迫害をおこなったとき、この人たちが、死をもって信仰を守り通したからである。・・・・・・

これらの記録を書き残した著者は、過去の人たちが信仰を守るためにどれだけの犠牲を払ったか私たちに思い起こさせようとしたのである。

『ごらんなさい、今神の栄光を拝することができる。しかし、そのためにはどれだけの犠牲が払われたことであろうか。彼らが信仰を保ったからこそ、いまのあなたが信仰をもつことができる。あなたがたはこのような嗣業と伝統に真実であるために、なにをすることができるのですか』

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(へブル書11章35節~40節)・・・女たちは、死んだ者をよみがえらせていただきました。またほかの人たちは、さらにすぐれたよみがえりをいただきました。またほかの人たちは、さらにすぐれたよみがえりを得るために、釈放されることを願わないで拷問を受けました・・・・・

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こうしたユダヤ人の殉教の歴史は、キリスト教にも引き継がれてきた。

私たちが現在、迫害は受けてはいないが、誰かがキリスト教は血の宗教だと書いていた。主イエスの十字架に始まり、おびただしい、「血」によって証明され受け継がれてきた。『その嗣業と伝統に真実であるためになにができるのですか』と。主イエスは、問い給う。

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主イエスは、殉教者のありさまを、ご覧になっていたであろう。

『今は、耐えよ。やがてあなた方の殉教の信仰が、多くの人々の前で

燦然と輝くのだから・・・・・』

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