イミタチオ・クリスティ

村の小さな教会

11月6日(金):情けは人の為ならず

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(人に親切にしておけば、相手だけでなく自分にも良い報いとなり戻ってくる・・・・ことわざ成句辞典)

『あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたは、わたしにしたのです。マタイ福音書25章:40節』

神の裁きの規準・・・・・

この譬え話は、イエスの話されたものの中でも特に実感のこもったもので、その内容も非常にわかりやすい。ここに示されている教訓とは、神の裁きは、我々が人間の必要にどのように応じたかによって定められる。神の裁きの規準は我々どれだけ知識を蓄積し、どれだけ有名になり、またどれほど財産をつくったかではなくて、どれだけ人を助けたかという点にある。人を助けることについて、この譬えはいくつかの真理を示している。

 

Ⅰ・・目だたない助け。

エスが推賞されたのは、空腹の人に食物を与え、かわいている人に水を飲ませ、旅人をもてなし、病人を見舞い、獄にいる人をなぐさめるなど、誰にでもできる簡単なことであった。私たちに要求されていることは、巨額の金を人に与えたり、歴史に残る偉大なことをするのではなく、毎日出会う人に小さな奉仕をすることである。この譬えは平凡な人たちが栄光を得る道を示している。・・・・・・

Ⅱ・・意識しない助け

助けを与えた人は、自分がキリストを助けていることを意識していなかった。だから、永遠の宝を積むことが出来た。この人たちは助けないではいられないから助けた。それは、心から湧き出る愛の行動、報酬をあてにしない行為であった。これに反して、助けなかった人は、「もし、助ける相手があなたであったなら喜んで助けたでしょう、でも、普通の人だったので、助けなくてもよいと思ったのです」という態度をとった。今でも、自分が感謝と称賛と名声を得るためならば人を助ける人がいるが、こういう助けは本当のものではないし、自尊心を満足させるためのもので、寛容ではなく、偽装した利己主義である。・・・・・

Ⅲ・・人を助けることはイエスを助けること

この真理を体得した人として二人の人を上げることが出来る。

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        ・・・アッシジのフランシスコ・・・

その一人は、アッシジのフランシスコである。彼は上流階級の財産家の家に生まれ、快活な性格ではあったが、幸福ではなく、人生に何かが欠けていると感じていた。ある日彼が馬に乗っていると、ひどく体がくずれていたらい病人に出会った。彼は何かに心動かされて馬をおり、人から見捨てられた男を抱きしめた。すると彼の腕の中でらい病人の顔はキリストの顔に変わっていた。・・・・・・・

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        ・・・天使と物乞いする人・・・

もう一人はツールのマルチンである。彼はローマの兵士でクリスチャンであった。ある寒い日に彼が街に入ると、物乞いが彼を呼び止めて施しを求めた、マルチンは金を持っていなかったが、物乞いが真っ青顔をして寒さにふるえているのを見て、自分の擦り切れた軍服の上着をとり、二つに切ってその半分を物乞いに与えた。その晩、マルチンは夢を見た。場所は天国で、イエスがローマの兵士の半分を着ておられた。一人の天使が、「主よ、どうしてそんな古い上着を着ておられるのですか。誰があなたにそれを上げたのですか」とたずねると、イエスは静かに答えられた『わたしのしもべマルチンがくれたのだ』・・・・・・・

     ☆      ☆        ☆

今日の午後、電話があって、柿をあげるからとりに来てくれとのことであった。去年もいっぱい頂いたが、食べ頃になって、カラスに持っていかれた。今年は失敗しないつもりだが、カラスとの知恵比べもなかなかむつかしい。彼の隣の家は、コンクリートの土台のみ残し、そっくり移転したようだ。彼の母親がその病で(もうなくなっているが)誰も集落の人は近づかない。寺の坊主も葬儀を断った。私が葬儀を執り行い、荼毘にふした・・・会葬者は彼の兄二人と、葬儀屋の担当者のみだった・・・・

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  ・・・彼は車がないので自転車ばかり利用している・・・

もう一つの家族は、ご主人と奥さんの二人暮らし。ずうと峠を越えた隣の村に住んでいるが。私が仕事をしている頃からの付き合いだ。奥さんがその病で、一目で直ぐわかるほど、顔面が崩れている。この家は集落からポツンと離れて建っている。人付き合いはない。私は気にしない。度々電話があって、ガラスの修理に出かけ、お茶をごちそうになって帰ってくる。その病は感染力は非常に弱いにもかかわらず、隣人は必要以上に怖れる・・・・

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