イミタチオ・クリスティ

村の小さな教会

8月10日(火):悲しむ者と

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喜ぶ者といっしょに喜び

悲しむ者といっしょに泣きなさい。

(ローマ人への手紙12章15節)

随分昔、まだ一信徒だった頃、ある牧師がしんみりした調子で言った。

「三浦さん、悲しむ者と共に悲しむのは、人はたいていそうしてくれる。だが、喜ぶ者と共に喜んでくれる人は少ない」と。

一瞬、私は耳を疑った。逆じゃないのかな?。と思ってみたが、よくよく考えて見ると、残念ながうなずけるものがあった。・・・・・・

エス様は、むつかしい事柄についてよく譬え話で説明された。「天の御国は・・・・このようなものです」と。私もまた主にならってこの問題を説明するには、譬え話を用いるしか良い考えが浮かばない。・・・・

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はなはだ、卑近な例話で解き明かしてみよう。

二人の仲のいい友人が、共にとある大学の入試を受けた。一人は合格し一人は失敗した。無事合格した友は、失敗した友のために嘆き悲しんだ、それは本心からであった。一方失敗した友は、「おめでとう、僕の分まで頑張ってくれ」多分そんな言葉をかけるだろうが、彼は心から、お祝いの言葉を口にできるだろうか。「喜ぶ者と共に喜ぶ」ことのむつかしさがここにある。自分の「不運」をさておいて、本当に他人の「幸運」を祝福できる人がどれほどいるだろうか。・・・・・・・・

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「隣の芝生はよく見える」そう見えてくる。

「隣の不幸は蜜の味」そうほくそ笑むこともある。

私は、どうしようもないこの「人間性」を変えて頂かなければならない。正直なところ、人の幸運を妬んだところで自分に、幸せが回ってくるわけではない。この性質を変えてくれるのは、イエス様のご生涯を見つめ続けていくことが一番なのだと思う。・・・・・・・

これらのことを教えてくれた、牧師から私は沢山のことを学ばせていただいた。彼は、大学を出ていないことを、どこかで気にかけていたが、霊的な直観力は秀でたものがあった。御言葉を理解するに一番大切なことは、多分、「霊的な直観」なのではないだろうかと思われる。かの牧師の指摘がなければ、「喜ぶ者と共に喜ぶ」という人の分裂した真理を悟り得たであろうか。

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