イミタチオ・クリスティ

村の小さな教会

8月9日(月):エマオ途上の弟子

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我が祈りの家に掲げられいる、エマオ途上の絵

この物語は、主イエスが十字架上で息を引き取ってから三日目に、二人の弟子たちがエルサレムの西北14キロばかりの所にあるエマオという村へ行く途中で、復活された主が彼らに近づいて来られたのに、それに気づかなかったという話から始まっています。その弟子たちの一人はクレオパという名で、もう一人の名は記されていません。その一人はルカであるという学者もいるそうですが、余り信憑性も意味のあることではないように思います。とにかく二人の弟子たちはイエスの十字架上の死が彼らの予想に反していたのを見て、失望落胆し、悲しみに沈んだ結果、都を離れあてどない旅に出かけたのでした。・・・

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私はこの「エマオ途上の弟子たちの物語」が大好きです。イスラエルを再興するのはこの方だと信じていた、イエスがいともあっけなく、十字架上でみじめな刑死し、彼らの夢は絶たれてしまいました。多分失望のうちに故郷へ帰る途上だったと思います。その悲しむ者たちにイエスは近づいてこられました。道々、キリストの受難と栄光について諭しました『ああ、愚かな人たち、預言者たちの言ったすべてを信じない。心の鈍い人たち。キリストは、必ずそのような苦しみを受けて、それから、栄光に入るはずではなかったのですか』・・・・・

彼らは道々語り続ける旅人の言葉に、心の内が熱くなってきました。旅人がそのまま通り過ぎようとするのを「無理に」お引止めしてお話の続きを聞こうとしたのです。そして食卓に着いて、旅人がパンをさく仕草を見て、彼らの目が開かれ、その旅人がイエス様であることを知ったのです。・・・・・・・・

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この物語の中には、私たちが学ぶべき幾つもの大切なことが記されています。私にとって一番大事なことは『道々お話になっている間も、聖書を説明して下さった間も、私たちの心はうちに燃えていたではないか』。

この物語の大切なことは、彼らが「無理」に旅人をお引止めしたことのように思います。なぜなら、旅人は、先へ進もうとなされていたのです、そこにはみことばへの渇望があり、そういう人の所に主は来られます。・・

パンを裂く仕草、「ああ、主だ」。と復活のイエスを見いだすのです。

そういえば、あの時もそうだったと。そして、何よりも、『私たちの心はうちに燃えていたではないか』。昔も今も心が燃えなければ、みことばもイエス様も通り過ぎていく。

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