イミタチオ・クリスティ

村の小さな教会

1月16日(土):心の貧しい人

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貧乏人がいつまでも不幸な生活をしなければならない世界にあって、幸いであるという光がもたらされた。新しい世界とは、イエスと言う光が来ることによって知らされる。この世では理解できない世界である。山上の垂訓は、イエスを除いて理解できないものなのだ。『こころの貧しい人たちは、さいわいである』これは、イエスが心の貧しい人のところを選んで行かれるから、その人たちは幸いなのである。・・・・・・

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エスは、誰も相手にしてくれず、自分はだめだと絶望している人のところへ行って、友達になって下さる。どうしようもない罪人を、イエスは引き受けてくださる。悲しんでいる人を捜し求めてその人のところへ行かれる。だから、イエスに出会ってイエスからの慰めが与えられるのである。不公平なようであるが、イエスは悲しんでいる人を求めて行かれるのである。義に飢え渇いている人、平和を作り出す人、義のために迫害されて来た人たちを求めておられるのである。イエスが尋ねて行かれるからこそ、彼らは幸いなのである。(榎本保朗師。一日一章、今朝のみ言葉)

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