イミタチオ・クリスティ

村の小さな教会

2月12日(土):チボー家の人々

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チボー家の人々、(第一次大戦と二次大戦の間、およそ20年を費やして、フランスの作家、ロジエ・マルタン・デユガール)が書き表した、大部の小説。二段組、355ページ、全5冊。色々書籍を整理して来たが、この本だけは手放さずに来たらしい。裏づけと見ると昭和42年7月15日仙台とある。私が23歳の時に買い求めた本である。・・・これを数日前に引っ張り出して来たもののとても再度読み切る気力もなくなっている。特に目がかすんで数ページ読むだけで、活字がぼやけて来る。・・・・ この小説は、ノーベル文学賞、そして、小説として初めて。ノーベル平和賞を受けたものである。大作だけにあらすじも多岐にわたり、今はそのあらすじさえ多くは記憶にないが、2,3の事は鮮明に覚えている。今日はその部分を、一つだけ紹介しよう。 『《おれがやったんだ》と、彼はくり返した。彼にはいま、自分の行為が、はじめて適当な距離をもって考えられた。。《いいことをした》と、彼はすぐに思った。彼はたちまち、そして、そしてはっきり反省した。《いやだまされてはならないぞ。そこには怯懦の精神もまじっていた。すなわち、あの悪夢からのがれたいという肉体的欲求だ。だが、たとい、自分自身そうすることに個人的利益があったにしても、あれをしないでよかったろうか? じょうだんじゃない》彼は少しもおそろしい責任を回避していなかった。《もちろん、すべて医者に許しては危険にちがいない・・・一つの掟を盲目的にまもる事は、たといその掟が、ばかげたものであり、非人間的なものであったしても、それは原始的に必要なんだ・・・》掟に対し、それの持つ力と正当性とを認めれば認めるほど、それを意識して破ったことをさらに是認する気持ちになっていた。《良心の問題、認定の問題》と、彼はそのまま考え続けた。《一般にいうのではない。おれはこう言うばかりだ。いまのばあい、おれはなすべきようになしたのだ》と。 彼はいま、死者の部屋の前に立っていた。・・・・ アントワーヌと弟のジャックの二人の兄弟は、父の看病にあたっていた、それは何週間の続き彼らは疲労困憊していた。父の苦痛は激しく、見るに忍びなかった。遂にアントワーヌは、父にモルヒネを投与した。その直後の彼の独白である。

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