イミタチオ・クリスティ

村の小さな教会

9月6日(火):愛の完全 (マルチン・ルター)

『それだから、あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい』(マタイ5:48)

ある人たちは、完全な聖化を夢見ていますが、わたしたちは、罪から完全に自由になるという意味において完成に達することは決してありません。この聖句をはじめ聖書のあらゆるところで言われている意味の完全とは、その教えが完全に正しいという事であり、次に、わたしたちの生活が、その教えに支配され、それに一致するという事です。

 しかし、ユダヤ人の教えと生活は、不完全でまちがっています。それは彼らは友をのみ愛することを教え、それに従って生活するからです。それはこわれた愛、部分的愛です。しかし神は完全で円熟した愛を望まれます。それによってわたしたちは友に対すると同様に敵に対しても益をはかり、愛していくのです。このようにしてわたしは完全な教えを守る完全な人へと召されております。・・・・・・・

 そこで生活がそれほどスムーズに完全にいかず、肉と血がたえず妨害するので、不可能であっても、もしわたしたちがそのために努力し、毎日を歩み続けるならば、み霊は肉を支配し、制御し、制し、とどめ、この教えに反対して行動しようとする傾向から守ります。こうして私は愛を歩みの中心に保つように召され、それをひとりもかけることなくすべての人に及ぼそうとします。これがキリスト者の完全さを持つことであり、それは特別の職業や状態に存することではなく、すべてのキリスト者に共通のものであり、また、そうでなくてはならないのです。・・・・・・・・・・

(ルターによる日々のみ言葉:鍋谷莞爾訳)