イミタチオ・クリスティ

村の小さな教会

10月16日(日):エッセネ派

ユダヤ人の間には三つの哲学の派があり、第一の派に属するのはパリサイ、第二はサドカイであり、第三のものは。高潔な生活を実践することで有名なエッセネと呼ばれる群れである。彼らは生粋のユダヤ人であり、他の宗派に勝って互いに愛し合う。彼らは快楽を悪としてしりぞけ、節制を重んじ、激情に溺れて徳を捨てるようなことはしない。彼らは結婚を重く見ず、他人の子を、まだ素直で撓めやすいうちに養子とし、自分の血族のように扱い、自分たちの生き方や風習を心にうえつける。これは彼らが結婚を廃して種族の保存をすててしまうためではなく、婦人の淫奔な生き方から身を守るためであり、女というものは、決して、一人の男性に貞節を尽くすものではないと信じていたからである。

 彼らは富を軽蔑する。彼らの間で驚嘆すべきことは財産の共同性である。一人として他の者より多くの富をもつ者はいない。この宗派に入る者はその財産を宗団全体の用途のために手渡す規定があり、その結果、彼らの中には貧困の故に辱められる者もなく、余分の富を持つ者もいない。すべての個人の所有は共有財産となる。

 彼らは特定の町を持たないが、どの町にも大勢いる。この宗派の人はどこから来ても、すべての財産をあたかも自分自身のもののように自由に用いることができる。また、一度も会ったことのない仲間の家に、あたかも親友であるかのように出入りする。従って、彼らが旅行する時は、何一つ携えることをしない。ただ盗賊に備えて武器を持っていくだけである。この宗派のある町には必ず旅行者の世話をする役目の人が任命されていて、衣類やその他の面倒をみる。彼らの服装や身のこなしは、脅かされて成長した若者のように見える。彼らの間では物の売買をしない。それぞれが他人の必要に応じて自分のものを与え、自分の必要なものをもらう。ものを分けたり必要に応じて用いてもいっさい代償を払うことはない。

 彼ら何事も目上の指導なしにはしないが、二つのことだけは自由意志に任されている。すなわち、人を助けることと、憐れみを与えることは自分たちの判断に任されていたのである。

 親族に物をおくるには執事たちの許可がなければしてはならない。彼らは義憤をいだく場合を心得ているが通常は怒りを抑制し、誠実さにかけては何人にも劣らず、平和に仕える人たちである。

 彼らの語る言葉は一言一句が、いかなる誓約よりもたしかであって、彼らは誓いをしない。誓いは偽証よりも悪いとみなしている。それは、神を引き合いに出さなければ信じてもらえないような人間は、すでに滅びに定められているからである。

 この宗派に入る願いを持つ者は、直ちにうけ入れられない。彼らはその人に一年の間外部にとどまって同様の生活様式を守る事を要求するが、この際小さな斧と腰布と白い衣を与える。この期間が過ぎて、彼が自制心の証しがたてれば、彼らの生活に近づけられ、きよめの式の清い水にあづかることができるが、それでもなお共同の生活にはいることはゆるされない。この忍耐心の証明がなされたときに初めて仲間に登録される。

(以上:フラウィス・ヨセフス著。ユダヤ戦記Ⅰ。総督の支配とヘロデの子孫たち)に記されている部分の抜粋だが、案外、新約聖書の、イエスの言葉と重なる部分がある。

元々、一部の学者によれば、イエスは、エッセネと何らかの関係があったのではないかというものもいることは事実であり、バプテスマのヨハネは、ほぼ間違いなく、エッセネ派の影響を受けていると思われる。