イミタチオ・クリスティ

村の小さな教会

4月8日(土):キリスト者の証し

『現代の主顕祭』と題する小説の中、シシル・ノースコットは、ある青年のキャンプでの模様を伝えている。このキャンプでは、各国の代表が一緒に生活していたが、「ある雨の夜、キャンプに参加している人たちは、キリストをあかしする方法について話し合っていた。彼らはアフリカから来たという女子青年にたずねた。「あなたたちの国ではどうしていますか。」マリアは答えた。『私たちの国では伝道もせず、パンフレットもくばりません。ただ、一組か二組のクリスチャン家族を村に派遣して、そこで生活させます。人々はクリスチャンの生活を見て、自分たちもクリスチャンになりたいと思うのです。』。・・・・・・

究極的には、決定的に説得力の持つ議論は、クリスチャン生活の実践である。イエスについて話をするのは不可能だと思われる人達がいる。彼らの独特的な無感覚、知的な誇り、皮肉な嘲笑、心を覆う幕、等が、イエス・キリストに対して無関心にさせるのである。しかし、キリストを示すことはいつでも可能である。キリストの教会が弱いのは、クリスチャンが議論において劣っているからではない、真にクリスチャンとして生きる人が少ないからである。(W・バークレー