イミタチオ・クリスティ

村の小さな教会

6月23日(金):葉隠

武士道といふは、死ぬことと見付けたり。

武士道の根本は、死ぬことに尽きると会得した。死ぬか生きるか、二つに一つと言う場合に、死ぬ方を選ぶというだけのことである。別段、むずかしい事ではない。腹を据えて進むまでである。「目的を遂げずに死ぬのは犬死だ」と言うのは、上方風の思い上がった武士道である。二つに一つと言う場合に、絶対見通しを誤らぬなどということは、出来るものではない。もし、理由をつければ誰しも死ぬより生きる方がよいのだから、何とかして生きていられるような理窟を考えるであろう。そうして見通しがはずれ、しかも生きていた時には、あれは腰抜けだと言われても仕方あるまい。これに反して、死を選んでさえおれば、たとえ見通しが誤って犬死だ、気違いだと言われようが少しも恥にはならない。これが武士道を心得た者のとるべき道である。真に武士道を身に着けるためには、毎朝毎夕、繰り返し命を捨てた心持になる修行が大切である。このようにして初めて武士道が身につき、一生誤ることなく奉公をつくしおおせることができるのである。・・・・・

【解説】・・・冒頭の一句は葉隠れ,全巻中、最も有名な言葉である。と言うより、葉隠れと言えばこの一句だけしか知らない者が多く、自分流に解釈して、それが「葉隠精神」と思い込んでいる。とりわけ、第二次大戦中、この一句が多くの若者を死地にかりたてるスローガンにされた暗い記憶の過去があり、葉隠れと言うだけで反発を感じる人が多いようである。確かに、この言葉を現代に再生しようとするのは、時代錯誤も甚だしかろう。だが、この端的な表現の中から、当時の武士たちの価値観をくみとり現代の我々の生き方と比較対照してみることは決して無駄ではあるまい。「生命尊重」の掛け声に安住して実は生命が浪費されている現代に対する、痛烈なアイロニーとして受け取ることもできるのではないだろうか。それは、厳しい生き方を考えさせてくれる。

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この「葉隠」と言う書物を読んだのは、本のおくつけによると、「S40,9,7日」

とあるので、21歳ころのことである。原文に、訳がついていて、解説もある、本来なら、古文でとても読みこなせる本ではなかったが、何とか読んだ形跡ある。今日紹介したのは、最もポピュラーな部分だけで、全体的には、「奉公人」の心得帳みたいなもので、結構、ためになることも、多い、戦後、日本においては禁書じみた傾向もあるが、やはり、日本精神の根幹をなすものであることには変わりはない。・・・・・・

ちえ子から電話で、退院が早まるどころか、来週までかかるらしい。どうやら、全身麻酔に負けたらしい。まだ、しばらく、アルの機嫌を取っていなければならない。あいつ、わめき散らしている。紐を腰に下げて家中歩き回ると、つられてジャレているが、それも一時、会堂の椅子にふさぎ込んで、寝てばかりいる。次の礼拝は、」青森から、メッセンジャがくるので、その分楽だが、・・・・・・