イミタチオ・クリスティ

村の小さな教会

6月26日(火):葉隠れ そのⅡ。平気でうそをつけ


平気でウソをつけぬようでは男でない。

山本前神右衛門(常朝の父)は人々に「ばくちをうて、うそをいえ、一町歩く間に七度ウソを言わねば男として役に立たぬぞ。」とだけ言っていた。昔はただ武勇の心掛けさえあれば良かったので、なまじ行儀ばかりよいような者には大きな仕事はできぬと思われ、このおように言っておられたのである。素行の良からぬ者に対しても、知らぬ顔して許しておき「よいことをした」などと言っておられた。相良求馬なども、悪さをした家来どもを赦しておき、次第に育てていかれたが、「そうした者でなければものの役にはならあぬものである。」と言っていたという。

【解説】・・・これも武勇と言うより蛮勇のすすめのようであるが、多少の脱線はしてもバイタリティーある人間の方が、貢献度が大きいと言いたかったのであろう。とりわけ若い間はそうである。これに反し、人格者とか、好人物とか言われる人は、とかく引っ込み思案で太業をなすことができぬとしている。・・・・・・・・

昔、自衛隊にいた時、大久保一曹と言う人がいた。岩手出身の人だったが、その人がそうした考えの持ち主であった。口癖でもないが「悪いことをする人間は、良い事もする」。私はその言葉を聞いてなるほどと思った。善事も悪事も、そのエネルギーは同じところから出て来る。彼は、飛行隊の直属上官であった。私は飛行隊の整備士であったが、整備の仕事をせず、飛行隊本部の事務方に配属されていた。そこでいろんなことを教わった。公文書の読み方、作り方、隊員への支援、調整、等々・・・・そうした中で、大久保一曹は、特別目をかけてくれた。それは、多分私が、「多少生意気」だったからであろう。誰の唄だたか忘れたが、「男は生意気くらいが丁度いい」というのがあった。自衛隊にはいろいろ、内務規定がある。そんな規定をいつも破っていた。が、さしてお咎めもなかった。ある時は、外出して、酒に酔い、9時までの門限に遅れてしまったことが、ある。本来ならば、懲罰の対象になるのだが、翌朝、彼は私を呼んで、本部の前の芝生に座らせて、注意しただけだった。そのやり方も、感動した、お互い向き合って、胡坐をかき、目と目を合わせてお叱りをを受けた。これも、どこか武士道精神に則った方法だろうと、その頃から薄々気づかされたものだった。・・・・・・

聖書的にいうならば、パルロのことが想いだされる、燃えるような思いでキリスト教を迫害した彼が、一転して、新約時代最大の布教者となったのも、同じことのように思われる。