イミタチオ・クリスティ

村の小さな教会

11月14日(火):インドの詩人タゴール詩

神は各人に課題を与えられる。その課題は、全ての人に知られ、歴史に書き留められるようなものであるかも知れない。あるいは、誰の耳にも入らないようなものであるかも知れない。しかし、いずれにせよ、それは神の課題である。タゴールは次のような詩を書いている。

真夜中に、自称隠者が口を開いた。

「わが家を捨てて、神を求める時がきた。

あぁ、いったい誰がこの妄想の中に、

かくも長い間、わたしを閉じ込めていたのか」。

神はささやかれた、【わたしである】。

しかし、男の耳は閉ざされていた。

胸に安らう赤子を抱いて、彼の妻は、

寝床の反対側で、安らかに眠る。

男は言った、「かくも長い間、わたしを愚かにさせたあなたは一体誰なのか」。

再び声は言った。【神である】。

しかし、男はその声を聞かなかった。

夢を見た赤子は大声で泣き、その母親にぴたりと寄り添った。

神は命じて言われた。【愚か者よ、止めよ。あなたの家庭を捨ててはならない】。

しかし、男には、なお聞こえなかった。

神はため息をついて、つぶやかれた。

【なにゆえ、わたしの僕は、わたしをたずねて、わたしの故にさまよい歩くのか】

 

たとい卑しい課題であっても、それは「使徒の」尊い任務である。