神は各人に課題を与えられる。その課題は、全ての人に知られ、歴史に書き留められるようなものであるかも知れない。あるいは、誰の耳にも入らないようなものであるかも知れない。しかし、いずれにせよ、それは神の課題である。タゴールは次のような詩を書いている。
真夜中に、自称隠者が口を開いた。
「わが家を捨てて、神を求める時がきた。
あぁ、いったい誰がこの妄想の中に、
かくも長い間、わたしを閉じ込めていたのか」。
神はささやかれた、【わたしである】。
しかし、男の耳は閉ざされていた。
胸に安らう赤子を抱いて、彼の妻は、
寝床の反対側で、安らかに眠る。
男は言った、「かくも長い間、わたしを愚かにさせたあなたは一体誰なのか」。
再び声は言った。【神である】。
しかし、男はその声を聞かなかった。
夢を見た赤子は大声で泣き、その母親にぴたりと寄り添った。
神は命じて言われた。【愚か者よ、止めよ。あなたの家庭を捨ててはならない】。
しかし、男には、なお聞こえなかった。
神はため息をついて、つぶやかれた。
【なにゆえ、わたしの僕は、わたしをたずねて、わたしの故にさまよい歩くのか】
たとい卑しい課題であっても、それは「使徒の」尊い任務である。