『女の人よ、怖れることはありません。わたしは神の使いガブリエルの弟サブリエルです」。・・・「まあ、そんなお偉い方が私にどんな御用がおありなのでしょう?」。
『神はあなたが信心深いのを見られ、お恵みをくださいました。何か、願いがあればお聞き下さいます」。
女の人は、少し考えてから言いました。
「神様のお心にかなうのでしたら、生まれてくる子が誰からも
愛されますように・・・・」
『そのようになります』。サブリエルはそう言い残して姿が見えなくなりました。
・・・さて、それから、その女の人に男の子が生まれました。
お父さんは、大喜びで、その子に・・ナルシス・・・・という名をつけました。
ナルシスは、とても可愛かったので、お祝いに来た親戚の人や、近所の人たちは、その子を見るなり、みんなナルシスを大好きになりました。
・・・こうして、ナルシスはみんなに見守られてすくすくと
と成長していきました。
・・・ナルシスは、青年になって商売を始めました。雇人は
大好きなご主人の為に、一生懸命に働いてくれたので、商売がうまくいって、やがて、ナルシスはお金持ちになりました。
町中の人気者となり、誰一人ナルシスを知らない者などいませんでした。誰もかれもナルシスに憧れ、ナルシスほど幸せな
者はいないと思っていました。
・・・何年か過ぎた頃から、ナルシスは考え込むようになりました。・・・みんなは僕のことを幸せ者だというけれど、本当に僕は幸せなのだろうか・・・いつの頃からだろうか、ナルシスの心の中にポッカリと穴があいて、そこを冷たい風が吹き抜けていくような寂しさを感じるようになっていました。
・・・ある日の夕暮れ時、ナルシスはお母さんがいつも、お祈りしている姿を思い出しました。・・・そうだ、僕もお祈りしてみよう・・・
ナルシスがお祈りしていると、何処からともなく声がしました。・・・『ナルシス・・ナルシス』。名前を呼ばれて、おもわず、「はい!」。と返事をしました。
見ると、傍らに誰か立っていました。「あなたは、どなた様で私にどのような御用がおありなのでしょう?!」。
『怖れることはありません。わたしは神の使いサブリエルです。神はあなたの祈りを聞かれました。それで、わたしを遣わされたのです』
「ああ、天使様、お聞きください。人は私を幸せ者だと言います。でも、私の心は悲しみで一杯なのです」。
『聞きなさい、ナルシス。あなたが母の胎にいる時、この子が
誰からも愛されるように願いました。神はその願いを聞かれました。しかし、今、それがあなたにとって呪いとなっているのです。ナルシスよ』・・「はい」・・『愛する者になりなさい』・・・静かな時が流れて、ナルシスの心に安らぎのようなものが宿ってきました。気が付くと、そこには誰もいませんでした。
翌朝早く、ナルシスは一通の手紙を残して旅へ出ました。
(お父さん、お母さん、僕は旅へ出ます。僕の持ち物は全部困っている人に分けてあげてください・・・さようなら)
それからナルシスは、村を巡り、町々を訪ね神の言葉を語りながら旅を続けました。はじめは、子供たちに乞食坊主、乞食坊主と石を投げつけられる事もありました。お百姓さんが盗人と間違えて、棒を持って追いかけて來ることも度々でした。でも、ナルシスは少しも悲しくありませんでした。聞いてくれる人のいるところどこででも、いつでも、優しく、温かく神の言葉を語り続けました。・・・・やがて、国中にナルシスの噂が広まって、街でも、村でも人々はナルシスが訪ねて来て、神様のお話してくれるのを心待ちするようになりました。
・・・そうして、時が過ぎ去り、何年も、何年もナルシスは旅を続ていきました。やがて、ナルシスも歳を取り、すっかり老人になりました。それでも、み言葉を語るため旅を続けておりました。
ある日の夕暮れ時、ナルシスの老いた足では、もう峠を越えて次の村へ辿り着くことができませんでした。ナルシスは野宿をしようとして岩陰に身をひそめ、その晩はそこで眠りました。…翌朝、小鳥たちがさえずり始めました。いつも、ナルシスの朝は、彼女たちのさえずりで始まるのでした。でも、その朝は起きてきませんでした。覗いてみると、その顔はとてもよい夢を見ているように微笑んでいました。しかし。ナルシスのからだは冷たくなっていました。小鳥たちの歌声が止むと、何処からともなく一人のひとが現れて、ナルシスの傍らに立っていました。そのひとはずっと昔、ナルシスに現れたあの天使サブリエルでした。・・・サブリエルは、長い旅ですっかり擦り切れボロボロになっていたナルシスのマントで、その冷たくなったからだをそっと覆い、抱き上げてから、静かに慈愛のこもったお声で言いました。『わが子よ、わたしは、いつもお前と共にいたよ』・・・サブリエルはその子を抱えたまま天に昇っていきました。この、サブリエルこそイエス様のお姿だったのです。・・・おしまい・・・