イミタチオ・クリスティ

村の小さな教会

3月27日(金):墓誌

 


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三浦功喜 27歳 父親と同じ自衛官であった。両親と自宅で夕食を済ませ、部隊に帰って、間もなく不慮の「事故」で倒れ、そのまま帰らぬ人となった。母親は、からだが丈夫な方ではない。50年ほど前に帝王切開をして、命がけで産んだ一人っ子である。成人してからは、父親とバイクを乗り回すイージー・ライダーでもあった。明るく、本当に素直な子だった。・・・その日は青森は雨の予報であった。しかし、その霊園は気持ちよく晴れていた。功喜の墓所は元々自宅近くにあったのだが、最近この地に移した。数百万かけて、永代供養をしてくれるというここに功喜の遺骨を移したのである。・・・私達(ちえこと二人)が行った時。60歳前後のご夫妻が隣の墓所に向かい合って腰かけていた。その墓標はとてもなめらかで、美しかった。一目見て分った。このご夫婦が精魂込めて造らせたものだと。北国の、秋彼岸の昼下がり、二人は膝をつき合わせて語り合っていた。・・・以前、少しだけ兄から聞いていた。その《墓誌》をみた。娘さんの名前だった。24歳二年前に召されていた。「娘さんですか?」と尋ねると、奥さんが寂しそうに笑って、うなづいた。「あ・あ・あ・・・・」私にはそれ以上のことばはでなかった。墓石に「ありがとう」と点字で言葉が記されていた。多分、娘さんはそうした人だったのだろう。「お宅の方も、若かったんですね」。奥さんが私に言った。27歳と24歳、若者が死ぬのはつらい。・・・・・・

エジプトの宰相を務めたヨセフは心ならずも、エジプトの神々

 」に膝を屈めることもあったろう。ヨセフの遺言は『我が骨を携え上り父祖の墓に埋葬せよ』というものであった。・・・・

モーセがヨセフのミイラを携えエジプトを出て、ヨシュアが父祖の墓地に葬った。・・・・ヨセフがカナンの地を離れて400年、夢見る少年の遺骨は、甘えん坊は、父のもとに帰った。

【2010年月号・イミタチオ・クリステイに掲載】

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