初代教会の歴史は殉教の歴史である。キリスト教の迫害はネロ帝の紀元64年に始まって312年まで続いた。そして、この間幾百万のキリスト者が殉教していった。こうした迫害のなかで、ローマのキリスト者は、カタコムと言われる石切り場でもある、地下墓地に潜んだ。ローマから下るアッピア街道にあるカタコムには、ペテロやパウロをはじめ、46人の監督たちが埋葬されたという。・・・・・
☆・・・墓誌に輝く言葉・・・☆
カタコムの壁に刻まれた言葉は、死と永遠の前で、親しい者の
思い出、愛と悲しみと望みの記録である。ある博物館にある異教徒の墓誌と比較するとき、著しい対照をなしているという。彼らには光がない、未来がない。ただ絶望的な悲哀のみが目立つ。クリスチャンの記した最後の言葉は短い、しかし、光がある。・・・・・・
・・・平安のうちに・・・
・・・神にありて憩う・・・
・・・キリストにありて永久に生く・・・
・・・神は汝の魂を生かす・・・
・・・彼女は眠っているがよみがえるであろう・・・
・・・泣くな、我が子よ、死は永久ではない・・・
・・・プリマよ。あなたは神の栄光と主イエス・キリストの平和の中に生きる・・・
・・・愛する我が子キリアクスに。み霊のうちに生きるように!・・・
・・・パウルスは永遠の幸福に生きるために拷問に甘んじて死んだ・・・
・・・私の最も美しい、最も清い妻、ドミニナへ。彼女は16年と四か月生き二年四か月と九日私と結婚していた。私は旅行がちであったので、私は六か月以上一緒に住んでいられなかった。私はその間思いのままに彼女に愛を示した。私達は誰にも負けぬくらい愛し合った。五月十六日埋葬」・・・
☆・・・夥しいい殉教者を出したにもかかわらず、イエスを信じ、従う者の数は増していった。そして遂に312年迫害の歴史は終わった。誰もその勢いを止めることはできなかった。
紀元312年、キリスト教はローマ公認の宗教になった。その頃は、ローマ帝国の行政はキリスト者抜きにしては、機能しないほどになっていたと言われている。あのカタコムにおける殉教者たちの命を賭けた信仰は、無駄にはならなかった。