イミタチオ・クリスティ

村の小さな教会

5月22日(金):純情か真面目か?!

『偉大な人物に共通の特徴は「純情」で、しかも「底抜け」の純真さ」である』・・・オルダス・バックスレー(英国の思想家)

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神だけをひたすら見上げている人の特徴は、単純で無邪気です。日本人は道徳的にまじめであることを尊びます。道徳を守るのも重要な条件ですが、神と共なる霊的生活を身につけるためには、むしろ、妨げにとなることが多いのです。自分が「まじめ」でありたいために、絶えず自分というものが念頭にあって、すべての自分の言葉や行動も道徳家の堅苦しさと、人を裁く冷たさがあります。・・・・・・・・・・・・・・・・

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自分に愛がないのに、自分を実質以上に見せようとして、愛の振る舞いをしたりします。主が最も嫌われるのは、このパリサイ人の道徳的偽装です。白く塗った墓です。彼らには、朗(ほがらか)らかで、単純率直な天真爛漫さがありません。彼らはいつも自分の正しさが中心で、自意識が強いので、くつろいだ自由な気持ちになれないし、他人も彼等にはくつろぐ気持ちにはなれません。・・・・・霊的信仰者は神の中に自分を忘れ、単純で自然でいられるが、道徳家は「まじめ」に自分を作ろうと努め、いつも自分の周囲を見回して、自他の批評を気にします。これに反して、霊的信仰者は無邪気に神だけを見上げているのです。

人間対人間に対しては道徳的誠実さは大切です。しかし、重要なことは、神に対しての人間の誠実さなんて問題にならないということです。むしろ、神が求められるのは、砕かれ霊魂であり、幼児のような魂です。・・・・・・・・・・・。

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聖書は「神は真実であるが、生まれながらの人間はそうではない。罪人である。それで新生が必要である。」と主張するのです。人間の不真実さに絶望し、もう人間には何も残らない。何も無くなった人間には、せめて、罪に泣く純情くらいしか残らない。かくして、神の救いの機縁が熟するのです。

☆神の祝福を受けやすいのは、「まじめ」型か「純情」型か☆

イエス・キリストがいずれのタイプに一夜をくつろごうとされるかわかりますか?。「心の清い人は幸いです。その人は神を見るからです」と主は言われましたが、「純真さをもって神に近づくこと」が非常に大切です。・・・・・・・・

バックスレーの一文を紹介したが、これは神学校の試験で出された問題で、これを読んで感想を述べよというものであった。

私の、珍回答は明日述べることにする。

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