イミタチオ・クリスティ

村の小さな教会

7月6日(月):御側にはべる者


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    人里離れたいつも駆け回っている台地
一日中机に向かってばかりはいられない。犬を連れて山へ出かける。奴は、わたしの服装を見て、判断する。山へ出かける服装をみて、喜んで小躍りして跳ね回る。「さぁ、行くぞ!」と声をかけると、私の鼻先まで飛び上がってくる。・・・・・

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  駆け回っていても呼ぶとしぶしぶながら帰ってくる

犬は走るのが商売だ。いつか、アラスカの犬ぞりの事をテレビで見た。彼等は力尽き倒れるまで、走り続ける。はた目からみると残酷だという人もあるそうだが、飼い主は、それが彼らの喜びだというのである。それが正当な考え方かは、疑問はあるが、ただ犬の走りを見ていると、うなづけることもある。

野山へ行って走り回る犬は、実に嬉しそうだ、私の車の側を息せききって走様子は、まさにそうだ。・・・・・・

山へ行かないときは、書斎と隣あわせの、作業所にいる。比較的自由にさせている。

ところが、奴はいつも私の書斎の一番近くまで来て、寝ている。作業所には、座布団を敷いたベットも、ふかふかのソファもあるのだが、わざわざ、私の近くの板の廊下にいるのである。おそらく、私のにおいのするところ、カサコソと主人の物音のするところ、そこが、犬にとって安らぐところ、安心できるところ、しあわせな場所なのかもしれない。暖かいベットやふかふかのソファより・・・・

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           どっこい 一休み

しかし私には神の近くにいることが、しあわせなのです。

            詩篇73篇

こいつも老犬だ、12歳になる、伴走する私の車のスピードも前よりも遅くなった。どちらが早く逝くかわからない。しかし、奴は多分私の側にいることがしあわせなのだろう。私もまた、神の近くにいることがしあわせなのだ。

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   この女性は何の関係もない、ただきれいな人