テレビを見ていたら、洪水に見舞われ宮崎の人が語っていた。
「50年に一度の災害が、三年続いてきた」と。どれほど辛いことなのか、察するにあまりある。今日あたり、岐阜の方にも大雨が来そうで心配している。あの地域には、えび河、木曽川
長良川がある。これらの川は堤防がしっかりしているので、さほど心配はないが、中津川は危うい。数キロで長野県の県境があり、長野の高い山々が下呂市、中津川市を見下ろしている。
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16年ほど前、「出稼ぎ」でタンクローリーに乗って、重油を運んでいた。中津川に製紙工場があって、毎週そこへ行った。
名古屋港で重油を積んで、往復8時間かかる。・・・・・・
この間、神の御手がどれほど、私を助けて下さったか、はかり知れない。「出稼ぎ者」は会社にとって消耗品のようなものである。廃車寸前のローリーに私の頭のように丸坊主のタイヤ、
輸送する重油は、ミナス重油といって、いわばコールタールのような油で、一度積み込んだら、数時間以内に必ずタンクに移さなけ得ればならない、そうしないとが固形化し、車が廃車になってしまう。そんな厳しい条件の中で、信仰が鍛えられた。
朝の起床は、4時、毎朝の「一日一章」と祈りは欠かすことは出来なかった。そして、必ず下着は新しいものに替えた。事故で運ばれる時、見苦しい着衣は見せたくないから。・・・・
今、考えても不思議な想いがするのである。一度、二度ならず
三度,四度、よくぞ無事に帰れたと。春日井市から多治見、日吉、明智を通って恵那、中津川、急な峠道は、雪の日は、11トンの車両は、ブレーキがきかない、事情の分からぬ若者の運転者は平気で割り込んできて、そのたびに肝を冷やす、あすこら辺の連中は、日本中で一番運転マナーが悪い。11トンの車が追突したら、どうなるか、想像するだに
恐ろしいのに、・・・・・・
そんなことで、私にはこの世界で何一つ怖いものがなくなった
(カミサマトカミサンイガイハ)
・・・・我が懐かしの中津川に平安があるように・・・・