昨日の続きは、はしょって書くことにする。私は卒業後、秋田市にある金融会社に就職していた。姉も秋田にいて喫茶店を経営していた。シングルマザーで、子を宿していた。「おろす」というのでそれは許されないと反対して、結局、私が夜だけ俄かマスターになった。店は赤字で、ウェートレスの給金もままならない状態でやむなく古本屋に本を売ることになった。古本屋のおっさんが、いいんですかと何度も念を押した。20冊ばかりのどうしても手放せない本を残してきれいさっぱり売った。十万円也!
男の子が生まれた。人見知りの強い子だったが私には妙になついた。その子もわずか36歳で死んだ。ま、そんなこともあった。
・・・脚本家・・・
アメリカの放送作家協会で、脚本家の育成をするために、「養成講座」を開催することになった。これからテレビドラマがもっと放映されることが予想されたので、優秀な脚本家が必要とされると見込まれていた。自称、新進気鋭のその卵たちが応募してきた。費用は協会持ちである。ホテルの滞在費、食事代、日当まで支給される。(日本では、こんな場合、講座の終了後に支給されるが、アメリカでは一括前払いをするそうである)・・・・
「脚本家養成講座」が始めて見ると、幾人かかの者が消えてしまっていた。ちゃっかりお金だけ貰って、ドロンしてしまった。
協会は特に事を荒立てず、放置してしまった。・・・・・・
そんなことがあってから、20年ばかり過ぎて、当時のことを
知る、協会の幹部は、驚くべき事実に気付いた。今、テレビ界で活躍しているのは、何とあの「ドロンを決め込んだ」連中であった。自分たちが、テキストを作って教え込んだ、真面目な連中の中に大成した者はいなかった。・・・・脚本という仕事は、本来
創造的仕事である。それは教えられて育つという種類の仕事ではない。それぞれが持つ個性が、才能が問われることなのである。
この前、たまたまテレビドラマの、スタッフの字幕が出ていて
不思議に思ったことがある。《原案・脚本家の名前》。要するに
ドラマのあらすじは、いわゆる原案は作家や、脚本家であっても、細部のストーリーはテレビ局のスタッフが、「はなしあって」決めていくのだそうである。素人の合作ドラマを我々は見せられているのである。全部が全部そうしたことをしているわけではないだろうが、
軽薄で、深みのないドラマに感じるのは、そうしたことにも一因があるのかな、とひねくれ根性が出てくる。
明日は柴田さんの、治療方針が決められる。最善がなされるように祈る。「万軍の主は生きておられる」
姪っ子からメールと電話無事着いたと。まだまだ向こうは暑さが続く。