イミタチオ・クリスティ

村の小さな教会

8月23日(日):会計学

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会計学を教えていた先生が面白いことを教えてくれた。《本は後ろのページから読み始めろ》と。しばらく、事の意味は分からなかったが、はぁ、なるほどと思うようになった。会計学の先生らしい言い分で、書物の結論は、最後に書かれている。それを読んでから順にページを逆にめくっていくのである。・・・・・

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会計学の立場からすれば、帳簿の一番後に、結論がある。すなわち、赤字か黒字かそれが一番大事で、そこに至った筋道を逆にたどって何故赤字の結果が、あるいは黒字の結果が出たのか、吟味していくのである。推理小説なんぞは、犯人が分かってしまってから読んでも面白くはないだろうが、ふつうの書物ならば案外面白い趣向かも知れない。・・・・・・・・

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聖書に関しては、この手法が奇妙に当てはまる。創世記の「はじめに」から読み進んでいくと、ヨハネの黙示録の最後は、「マラナ・タ」で終わる。ここに、神のみこころの結論がある。・・・

《主よ来たりませ》これが私たちの最終的な祈りと、生活姿勢である。主が来たらんとするとき、赤字の帳簿を抱えている者は、「今しばらくのご猶予を!」と懇願する。しかし彼はあの、のろわれたいちじく木のように枯れてしまう。・・・・・・

《主よ来たりませ》は原始教会以来の、キリスト者同士の合言葉でもあった。迫害の時代は過ぎても、平和な時代にあっても、私たちは、その祈りを唱え続ける者でありたい。そして、それが最終的に神が望んでおられることであろうとおもう。

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