イミタチオ・クリスティ

村の小さな教会

10月18日(日):山へ行きたい

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犬のまるを駆けっこさせて広場に着くと、カラスのぼうずがいつものように待っている。まるのおやつをちぎって放り投げると、工事現場の事務所の屋根でピョイピョイと器用に口に入れる。意地悪してちょっとずらしても羽をバタつかせながら、パクリと長いくちばしで挟んで食べる。こいつとも長い付き合いだ。まるもちえこもぼうずも、私も四捨五入すると、後期高齢者に該当する。体力が一番と。そこで少し体操をする。膝の屈伸は最初は20回もやっとだったが、30回になり、今は35回までできる。50回まで増やす計画だ。二三日前、まるの駆けっこコースから出羽丘陵が、紫色の稜線をくっきり見せていた。二日ばかり雨が降っての朝だ。こんな日は山がよく見える。出羽丘陵。奥羽山脈とは別に、日本海寄りの山々で、青森県西目屋のあたりから八峰町に至る千メートルくらいの山々が連なっている。

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ブナの深い森があり、世界遺産にも登録されている。その丘陵の中ほどに位置するのが、旧田代町から入山する田代岳である。この山へはよく登った。高校時代からか数えると数回は登っている。春夏秋冬。それぞれの季節に登った。私は単独行が多かったので、見知らぬ山へは滅多にいかない。同じ山をそれぞれに季節に登るようにしていた。そう言えば、春夏秋冬、登った山は幾つあったかなぁ。そう、田代岳、森吉山、横浜時代は丹沢山、青森の岩木山はどうだったかな、忘れた。二千メートルクラスの山は、冬場は単独行は無理だ。『娘さん、よく聞けよ、山男にゃ惚れるなよ、山で吹かれりゃよ、若後家さんだよ』てな具合になるからである。ある高名な登山家が「何故危険を承知で、山へ行くのか」と聞かれて「そこに山があるから」と答えた。山登りをしない人には珍回答だろうが、本人たちにとってはそれ以外の回答は見つからない。近い表現をすれば、中学時代の修学旅行の前日の「わくわく感」に似ている。前日からザックを引っ張り出し、衣類と道具を整え、登山靴に入念にオイルをしみこませ・・・地図を広げ、コースの選定・・・・これらもまた楽しい刻である。『♬ 娘さん、よく聞けよ、山男の好物はよ、山の便りとよ、飯盒(はんごう)の飯だよ ♫』・・・鼻歌交じりに支度する。

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冬山はパーテイを組まなければ難しい、単独行は無理。深い雪は腰まで沈む。ラッセル(先頭に歩き雪かきをして道をつける)はきつい。10分くらいで交代をする。写真にあるように隊伍を組んで進んで行く。何故そんなに苦しい思いまでして山へ登るのか、「そこに山があるから」とは、

私は答えない。あの晴れた日の、山の美しさは例えようがない。それは誰でも、経験してみなければ分からない。一通り、山歩きをしてから、

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岩山いわゆる「ロッククライミング」に挑戦してみたが、近くの岩場で練習中に宙づりになってしまった。山歩きには支障はなかったが、若い時分には心臓に欠陥があった。時々針で心臓がさされるような痛みに襲われ、ただうずくまるしかなかった。夕方になると偏頭痛が起こった、胃も胆汁みたいなものが口まで上がって来ていた。それらが歳を経るごとに薄れていって不思議に今は、何も起こらない。それで、山登りも、ロッククライミングも中止せざるを得なくなったが、またぞろ、山の虫が動き始めたが、しかしもう遅い。せめてズック靴を履いて、どこぞへハイキングくらいは出来そうだが、ちえこが歩けまい。『どうしたもんじゃろねぇ・・・・』

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秋田駒ヶ岳から乳頭温泉までは、山また山の縦走だった。一山超えるともう一山、延々と山が続いた。そうだ、あの親友のMも一緒だった。それから玉川温泉まで歩き、八幡平に登り、そこから岩手山へ向かいあの長い縦走路を踏破し帰って来た。おそろしい行程だった。あぁ、若かったなぁ。高校三年生。 

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来週は佐々木師が礼拝のご奉仕してくれるので、11月1日までお休み。

どんなに楽か!。しかし、一抹の寂しさも伴う。せいぜい頭と体を休め、

冬支度に精を出すことにするか。・・・・11時からアンがある、観る。

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