イミタチオ・クリスティ

村の小さな教会

10月19日(月):キリストの証人

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イエス・キリスト

今日でも、キリスト教に対する究極の証言はクリスチャンの体験である。

今日でも、クリスチャンは「わたしはイエス・キリストを知っています」

と言うことの出来る人のことである。そして、これらのことが真実であることを知っています」と言うことの出来る人のことである。こうして、

ヨハネ福音書は、最後に、教会の二人の偉大な人物ペテロとヨハネを取りあげている。・・・・

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説教するペテロ

そのおのおのに、イエスは職務を与えた。ペテロの職務はキリストの羊を牧することと、最後にキリストのために死ぬことであった。ヨハネの職務は、キリストの物語を証し、長寿を全うし平安のうちに死ぬことであった。それは彼ら二人をして、名誉や名声のことで争ったり、敵対させたりするものでなかった。それは一方を大とし他方を小とする者でもなかった。それは両者を等しくキリストの僕とした。人をして、キリストの定めたところで、キリストに仕えしめよ。イエスがペテロに『ほかの者にどんな務めを与えられようが気にかけるな。あなたの任務はわたしに従うことだ』と言われたように、それはまた、イエスが今日わたしたち一人一人に言われていることでもある。わたしたちの栄光は、決してほかの人々と比較されるものではない。わたしたちの栄光は、自分に割り当てられた能力に応じてキリストに仕えることのほかにありえない。・・

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エスの伝記を書くヨハネ

キリスト・・・この偉大なる人・・・

ヨハネ福音書の著者は、この最後の章において、これらの偉大な真理を書いたのは誰であったかを、教会に示している。彼は復活の現実性と、教会の普遍性を想起させた。また、ペテロはヨハネの名誉を争奪し合う間柄ではなく、ペテロは偉大な牧者、ヨハネは偉大な証人である、と言うことを想起させた。そして彼は今や終局にいたる。筆を置くにあたって、彼はもう一度イエス・キリストの輝きに、想いをよせている。わたしたちがキリストをどれほど知っていようとも、それはほんの一部にしか過ぎない。これから経験するするであろう驚異に比べれば、物の数ではない。いかなる人間の範疇も、キリストを叙するに力なく、いかなる人間の書物も彼を捕らえるに不十分である。そこで、ヨハネは、イエス・キリストの数えきれない勝利、汲みつくすことの出来ない力、無限の恩恵を示すことによってこの書を閉じている。・・・(ウイリアムバークレー

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無限の恩寵を賜るイエス・キリスト

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シャロンの花

シャロン花 イエス君よ

わが内に開き給え

良き香り麗しさを

われに分かち与えつつ

(折り返し)

シャロンの花イエス

わが心に 咲き給え

 

♬♬♬

シャロンの花 イエス君よ

病むこの身 癒し給え

罪を消す恵みの露

われをきよめ潤して

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シャロンの花イエス君よ地の上を覆い給え地の人皆ひれ伏して汝を主よと呼ぶまでに