イミタチオ・クリスティ

村の小さな教会

11月24日(火):人の心を見抜く者

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『しかし、イエスは、ご自身を彼らにお任せにならなかった。なぜなら、イエスはすべての人を知っておられたからである』(ヨハネ2章24節)

ヨハネは、イエスが過ぎ越しの祭りの間にエルサレムで行った奇跡の物語についてなんら言及していない。しかし、イエスは、そこで実際奇跡をおこなわれた。そして、イエスの力を見、イエスを信じた人々がたくさんいた。ヨハネがここで答えようとしている問題はこうである。もしイエスがその公生涯の開始のときに、しかもしかもエルサレムで、多くの人々がイエスを信じたのであるなら、なぜ、イエスは即座に旗を揚げ、メシアである、との権威ある公的主張をされ、公にご自分を宣言なされなかったのであろうか。答えは、イエスがあまりに、人間の性質を知っておられたということである。・・・・・・

一時は熱中してもすぐに忘れてしまう人々があまりにも多くいることを、イエスは十分知っておられた。多くの人々は、自分の行った感動的な出来事に魅せられているだけだということを、イエスは十分知っておられた。だれひとり、イエスが選ばれた道を理解する者がいないということを、イエスは知っておられた。多くの人々はイエスが奇跡や不思議やしるしを行う間だけ、自分に従っていたのであり、一度彼らに、奉仕や自己否定について語りだそうものなら、神の意志への自己献身をかたりだそうものなら、神や十字架を負うことをかたりだそうものなら、うつろな、不可解そうな眼でイエスを眺め、即座に彼のもとを去って行くであろうことをイエスはよく知っておられた。・・・・・・

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エスは、現代的言い方をすれば、刹那的な人気を利用することを拒否されたのである。もしイエスが、エルサレムの群衆に身をまかせられていたなら、即座に彼らは、イエスをメシヤであると宣言したでことであろう。

そして、メシヤが行うものと期待していた実力行為を待ち望んだことであろう。しかし、イエスは人々が受けいれる意味を知るまでは、人々に受け入れられることを拒否されるような指導者であられた。イエスは、人々がイエスが何を行っているかを知らねばならないと、主張されたのである。

エスは、人間の性質を知っておられた。イエスは人間の心の気まぐれ、

不安定さを知っておられた。イエスは人間の心の気まぐれ、イエスは人間の瞬間的な感情に流されるが、ひとたびその決心が、どのような意味のものあるかに気付くと、元の木阿弥に戻ってしまうことを知っておられた。イエスは、人間性がいかに人騒がせな事件に飢えているかを知っておられた。イエスの願っていたものは、歓呼の声をあげている群衆ではない。彼の望まれたことは、自分たちが何をしているかを知り、最後にいたるまで従う心構えのできている小さな群れなのである。

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     ☆      ☆       ☆

大仏次郎のノンフィクションの作品に、「ブーランジュ将軍の悲劇」という小説がある。折から、フランス革命の最中である。民衆はナポレオンにまさるものとして、将軍を担ぎあげた。群衆が広場を埋め尽くし、歓呼の声を上げた。エリゼ宮へ、エリゼ宮へ・・・・将軍がその人並に乗りさえすればエリゼ宮は容易に彼らのものになった。しかし、熱狂する群衆を残して自宅に帰った。『明日だ』。部下の者が言った。「諸君、たった五分前からブゥランジュ将軍の潮が退き初めたのです。」。その言葉通り、群衆は、将軍から離れていった。前日、通りを埋め尽くしていた群衆は、二度と将軍の名を呼ばなかった。凋落の一途をたどり、夫人の墓石に身を寄せて、倒れていた。傍らには拳銃が落ちていた・・・・・・

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かくも移り気な群衆というものをイエスは知っておられた。我々は、大勢である必要もないし、声高に叫ぶ必要もない。イエス様はたえず、一人の人と向き合われる。それが私たちの、無上の喜びでもある。

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今日竹内先生から、岐阜の柿が贈られてきた。食べるの勿体ないくらい立派な柿で、でもブログを書き終えたら一ついただこう。こちらに来られた時にはたいしておもてなしも出来なかったのに、恐縮するばかり・・・

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思い出した。小話を一つ。ある先生に卒業生から、手紙をもらった。

「家の姉もすっかり色づきました・・・」という書き出しでしたが、先生はビックリ仰天!。彼は・・姉という字と柿という字を間違えて書いてよこしたのでした。元教師は、限りなく複雑な気持ち・・・・。