イミタチオ・クリスティ

村の小さな教会

12月10日(木):いのち

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今日は、青森の兄夫婦の所へ行って来た。義姉が誤嚥性肺炎をおこし、危うい状態だというので、急遽出かけた。昔から肺の中にくもりがあって、どんな医師も治療の方法を知らなかった。それでも命には特段影響なく過ごしてきたが、年齢と共に障害が出てきた。今回の誤嚥もそうしたことの結果であるようだが、危篤状態は脱したようだが、長くは持つまいということである。医師もサジを投げているようである。・・・・・・

不幸な生涯のように見えるが、本人はどう思っているのかは分からない。

経緯についてはこのブログの「墓誌」に書いてある。一人息子を30年ほど前に「不慮の事故」で亡くした。以来母親にとって、鬱々たる人生でしかなかった。今に至るまで、その悲しさから立ち直っていない。兄の方は男なので、感情のコントロールは出来ているが、母性は、いつまでも死んだ子の歳を数える。私は薄情者で、「早く楽にさせてやったら」などと無責任なことを言っているが、60年連れ添った妻はなにものにも代えがたいものだろう。これも私のブログで、紹介していることだが、柏木哲夫師の「存在そのものが大切」という文章がある。たとえ、意志の疎通が出来なくなっても、生きてさえいてくれれば、いいのだということである。

多分、見守っているものには、正直な気持ちなのだろう。2年程前には、兄の方が癌で、これも医師に見放されて、ホスピスに移されたが、そこで「奇跡的」に回復し、今に至っている。「主よ、今一度・・・」と祈りたい思いと、早く楽にさせてあげたいという気持ちが、交錯して、判断がつきかねる・・・・・註:追記・・墓誌は3月27日に掲載、柏木師の存在そのものが大切は8月10日に掲載してあります。参考まで。