イミタチオ・クリスティ

村の小さな教会

7月15日(木):煙草屋の娘

f:id:dotadotayocchan:20210504105221j:plain

よく父に言いつけられて、その煙草屋にタバコを買いに行った。今はもう売っていない「桔梗」とかいうきざみタバコだった。時々、店に同い年の女の子が出て来てその子からタバコを受け取った。

小さな温泉町で、鉄道の線路と街並みが平行して走っていた。川が一本平行して流れていた。私達の小学校はその川向こうにあった。その川に橋が二か所にあって、それぞれ通学路になっていた。煙草屋は川上の方にあった。私の家は川下にあった。煙草屋の娘は、当然川上の橋を渡って、通学していた。私は川下の橋を渡って通学すれば、近いのだが、いつも遠回りになる川上の橋を渡って通学した。いつも煙草を買いに行ってるのだから顔見知りなのだが、その子と並んで歩くことはなかった。

学校には私はその小学校には、一年しかいなかった。父の転勤で隣の県に移った。

f:id:dotadotayocchan:20210311133959j:plain

そして、私の記憶は、70年経って、あの子について知っていることはこれだけに過ぎない。どんな顔立ちの子だったか、どんな会話をしたか、どんな洋服を着ていたか、何も記憶がない。ただ知っているのは、わざわざ遠回りして、彼女のそばを歩きたくて、歩いたということだけである。・・

f:id:dotadotayocchan:20210311134218j:plain

それから50年位経ってからであろうか、所用があって、その温泉町の近くを通る時、ふと、思いたって、国道からそれて、その街を見たくなった。どこもそうだが温泉町の道は狭い、車をゆっくり走らせながら、懐かしい街を見ながら進んだ。昔の煎餅屋さんがそのままあった。狭い駅前と、昔住んでいたとおぼしき家も、小さな町役場もあった。それから少し進むと、やっぱり右手に、煙草屋があった。その前で車を止めて、店をのぞくと、煙草ケースの向こうに、一人の婦人が立っていた。私と同じころ合いの人だった。店の前に車を止めた手前、降りて、煙草を一個買った。

その婦人は無言で、煙草を渡した。その人がかつての煙草屋の娘であったか、元々顔を覚えていないのだから、判断のしようのないことだった。

店を後にして車を走らせながら、「俺は、何をやってんだ」と。考え込んでしまった。人はときどき、詮無いことをするものだ。

f:id:dotadotayocchan:20201216084527j:plain